20日は、マリア・テレジア広場を抜けて英雄広場へと向かいました。
ウィーン美術史美術館
自然史博物館
お天気はね、19日以外は結構雨降り。
英雄広場への門で、英雄門(Heldentor)です。
午前9時で、とても静かでした。
オイゲン公(1663-1736)
後ろは、新王宮ですがパピルス(カルピスじゃないです)博物館が入ってますね。
ナフタリの部族は、今日誰ですか?
英雄広場の名称は、王宮(Hofburg)前の広場に立つ戦士の英雄像二体(カール大公記念碑は撮り損ね)にちなんでいて、1809年にアスペルンでナポレオン一世を降したカール大公と、オーストリアの人気将師オイゲン・フォン・サヴォイ公のことです。
アントン・フェルンコルンが19世紀の中頃にこの英雄像を作成しました。
スイスの中庭(Der Schweizerhof)は、1275年、ボヘミア王オットー・フォン・プレミスル二世がこの王宮で残存する最古の翼の建設を始め、ハプスブルグ家のルドルフ二世が続行。
スイス門は、ルネッサンス期の拡張工事の一環として、皇帝フェルディナンド一世の要望で立てられたものだ(1536-1553)。
この名の由来は、ここに駐屯していた近衛兵にちなむもので、マリア・テレジアの時代にはスイス人がその任務についていたのです。
現在、このスイス翼には計り知れない価値の宝石や最高に高貴な金細工や宝石の驚嘆すべき作品が収められた宝物館となっています。
ルーテル教会、バージニア州フォールズチャーチ
英雄広場から旧王宮への回廊の一部。
王宮前で、ウッカリ良く撮れた画像。
見上げると・・・
王宮への入り口前には、観光客が。
そして、定番のコンサートへのお誘い。
反対側を見ると、スペイン乗馬学校の入り口が。
ヨーゼフ・フィッシャー・フォン・エルラッハは1735年に「冬期乗馬学校」(スイスの中庭と厩宮の間)を完成し、16本のコリント様式の柱が支える階上席のある華麗なバロック様式の大広間は、ウィーン会議の時には多くの式典の会場となりました。
4つの伝道者は誰なの
ミヒャエル教会
王宮のミヒャエル翼の半球天井の間から向かい側の教会を見ると、ミヒャエル門の壮麗な錬鉄細工が見え、その前のミヒャエル広場は、王宮、ロース館(撮り損ね)、かつてはオーストリア皇帝家の所属教会だったミヒャエル教会など重要な建造物が取り囲んでいます。
ミヒャエル門の両側にある、戦い倒れるヘラクレス像と正面の壁の噴水。
この噴水像は、「陸の支配」(エドムント・ヘルマー作)と「海の支配」(ルドルフ・ヴァイル作)の寓話を表している。
オトツが、途中、Meinlって有名なショップを紹介してくれました。
あら、ウッカリ
店頭入り口は、こんな感じ。
カフェコーナー
この店には、ランチに戻ることになるので、それはまた後ほどね。
ちょち、行くとそこはグラーベン通り。
三位一体記念塔(ペスト記念塔)があります。
かつて、市場のあったこの辺りは、12世紀に市街拡張に当たり、ローマ人の城塞をめぐる濠(グラーベン)を埋めたところから、この名前がついたのです。
皇帝レオポルド一世は、ペストが猛威を振るった当時の誓約を守って、1679年に聖なる三位一体のためにまず木製の記念塔をグラーベン通りに立て、それを1693年になってから大理石の記念塔(設計は、M・ラウホミラー)に立て替えました。
それでは、明日は聖シュテファン大聖堂の巻ですわ〜
よろしく(^ー゜)ノ
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