教育とは…
以前にも紹介した実践的な教育哲学者、森信三先生のことばに、次のようなものがあります。
「教育とは流水に文字を書くような果かない業(わざ)である。だがそれを巌壁に刻むような真剣さで取り組まねばならぬ」
これは特に私の心に深く残っていることばです。
流れる川の水に文字を書く、いつになれば書けるのかわからない、気の遠くなるような作業です。教育・子育てとは「明日にはすぐ成果がでる」というものではありません。土を耕し、種を植え、肥料をやり世話を続ける、そして長い年月の後、成果として実をつける、本当に長い目で見なければならない業(わざ)だといえます。
そのような果かない教育・子育てという作業に、真剣に取り組む。果かない作業だから、といっていいかげんに取り組むのではいけない、岩の壁に文字を刻むような真剣さが必要だ、というわけです。
子どもの教育に対しては、「まあ、そのうちに」とか、「適当でいいや」とかそういう気持ちになりがちです。
時には反対に「あんたは何回ゆうてもわからへんな!」、こういうことばが思わず口をついて出てしまいます。
成果がすぐに見えないためにいいかげんになったり、焦ってしまったり。
私たちも園児の成長を考える時、「焦らず長い目で見る、今日明日という短い期間で結果を求めるのではない」ということをいつも意識しつづけています。
「流水に文字を書く」のが子育てという業だ、そんな風にこころがけていただければまたお子様への接し方が変わってくるように思います。
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お宮さんの「いわれ」
今回は趣向を変えて幼稚園の隣にあるお宮さん、西院春日神社のいわれについてお話しましょう。
この神社ができたのは、平安時代のはじめ、天長10年、西暦でいうと833年。当時の淳和天皇が、位を譲られこの西院に「淳和院」という離宮をつくられた時、守り神として奈良の春日大社の神々をまつられたのが始まりです。
淳和院はその後廃れてなくなりましたが、神社だけは現在まで絶えることなくこの地にまつられてきました。
さて、お宮さんにはいろんないわれや信仰があります。いくつかご紹介しましょう。
つい先日、京都新聞の記事にもなりましたが、淳和天皇の皇女、崇子内親王の疱瘡を治したという霊石、「疱瘡石(ほうそういし)」が見つかりました。この石には、内親王が疱瘡にかかられた時、祈願されたところ、代わりに疱瘡を生じた、そしてたちどころに内親王の病が治った、という故事があります。
それ以後皇室はじめ人々から「病気平癒の疱瘡石」と信仰を集めて拝まれ、都に疫病がはやる前には必ずこの石の表面がぬれたそうです。
明治時代以降、その行方がわからなくなっていたのですが、今回ある書物の記述から「内陣(社の中)」にあることがわかり、今後一般に公開することになりました。
また、境内に御神木の「梛(なぎ)の木」があります。他の木と違い、葉脈がたてに通っている珍しい木で、この葉は災難除けのお守りになります。
また、「女人、鏡の下に敷けば即ち夫婦の仲、むつまじきとなり」、つまり夫婦仲がよくなる、といういわれもあります。お試しください。
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電車で景色を見る時は…
私が子どものころ、こんな風に教えられました。
「電車の中から外の景色を見る時は、必ず靴を脱ぎなさい」
というのは、もし前に誰かが立たれたとき、靴を履いているとその人のズボンやスカートが汚れるかも知れないからです。みなさん方はいかがでしょう。こうは教えられませんでしたか?
私は、これは常識だと思っていましたし、今でもそう思っています。そして誰もがそう教えられてきたものだと信じていました。
ところが、そうではない、と知って驚きました。今、電車に乗っていて、靴を履いたまま外の景色を見ている子どもに、「靴をぬぎなさい」と注意をすると、隣にいる母親が、うちの子育てに口を出すなといわんばかりににらみ返し、
「そんなん、自由でしょ」
などということがあるのだそうです。
「おじさんが怒らはるし、あんた靴脱ぎ」
というのはまだましな方らしいのです。「おじさんが怒らはるし」ではなくて「すみません、気がつかなくて…」でしょう、間違っているのはこの親の方なのですから。
「何の権利があってうちの子を叱らはるんですか」とか「うちの子育てに口出さんといてください」、こんな言葉が親から聞かれるようになった昨今。これも自由や個性や権利という耳障りのいい言葉の上っ面だけを理解していることによる弊害なのでしょう。
自由は「規則」をまもることによって、個性は「基本」があって、権利は「義務」を果たすことによってこそ成り立つ、このことを私たちは忘れてはならないといつも考えています。
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「ほめるつもり」でいてください
「先生、うちの子、ほめるところなんてないんですよ」。
たまにお母さん方から出るこの言葉。でもそんなはずはありません。実際、お子さんと私たち、一年前と比べてどちらが成長したでしょうか?
保護者のみなさまや私たち大人は、せいぜいしわが1本増え、体重が増えて…というぐらいではないでしょうか。それに比べて子どもたちといったら身体的な面、知識、言葉の数、運動能力などあらゆるところで大きく成長しています。
要するに、その日々の成長を大人の側が見つけられないだけなのです。
そして、いつもお願いしているように、子どもをほめて育てていただきたいのです。
「でも思わずしかってしまいます」とおっしゃることでしょうが、私は「絶対しからないでください」とお願いしているわけではないのです。ただ、「子どもをほめよう」と「意識」していていただくことが大切だと思うのです。その気持ちを持ってしかった時とそうでない時とはお子様への伝わり方がまったく違ってきます。そして、「しまった。今のはしからなくてもよかったのに…」と反省されることもとても大切なことです。
「お母さんが子どもをほめようと意識されているのとそうでないのは本当に大きな差があるね」、
職員といつも話していることです。
「園長先生、ぜひこのことを保護者の方に伝えてください」、
今回は主任教諭、橋上のこの言葉でテーマが決まりました。
「子どものいいところを見つけてほめよう」と、改めて意識して、「ほめるつもり」でお子様と接していただきたいと思っています。
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「理屈ぬきに…」を大切にしたい
ひとりの文化人を囲んで、いまどきの女子高生数十人がディスカッションする、というテレビ番組がありました。
くわしい内容はほとんど覚えていないのですが、あるシーンだけが鮮明に記憶に残っています。
そのとき出演されていたのは瀬戸内寂聴さんでした。
話題が「援助交際」におよび、ある女子高生からこんな声があがりました。
「そんなの、自分の体なんだからさぁ、どー使ったって自由じゃん、誰にも迷惑かけてないしぃ」
会場のほかの女子高生からは拍手と喝采がわきおこる。私は、瀬戸内さんがどう応えられるか、と息をのんで画面を見つめました。
が、その答えは今ひとつ判然としない、「親に生んでもらった体、自分だけのものというのは間違いよ、大切にしないとね…」とかいうような抽象論に終わりました。
私は瀬戸内さんを責めるつもりは毛頭ありません。なぜなら浅学非才なこの私、同じことを投げかけられたらもっと答えに困るからです。「そんなもん、キミら、あたりまえやないか」といって言葉につまるぐらいが関の山です。
それは「理屈以前の理屈ぬき」の問題だからでしょう。なぜ挨拶をするか、親切にしてもらったらなぜお礼を言うか。こんなことはあたりまえのこと、理屈ぬきのことです。
カビのはえた常識論を振り回すつもりはありませんが、あたりまえとして身につけておいてほしいことはあたりまえに身につけておいてほしい。
「そんなんしたら神さんがバチあてはるで!」
こんな言葉が「不合理」と、ひとことで片付けられない世の中であってほしいものです。
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「生活の四大原則」解説
毎朝、元気に挨拶したあと、子どもたちと一緒に「生活の四大原則」を読んでいます。
1 挨拶をする。
2 返事はハイとはっきり元気に。
3 靴は揃える。靴箱に入れる。
4 立ったら椅子を入れる。
これは森信三先生という偉い実践哲学者の言葉を拝借したものです。森先生は3と4を一緒にして、「しつけの三大原則」とされているのですが、かすがようちえんでは分けて使っています。
この「四大原則」。簡単にまとめられていますがなかなか意味の深いものなのです。
まず、1の「挨拶」ですが、これはいうまでもなく、人間生活の基本、人と人とのつながり、コミュニケーションのきっかけですね。挨拶がしっかり元気にできる、これは基本中の基本でしょう。
次に2の「返事」。人の話を聞く、人の呼びかけにはっきり答える。挨拶についで大切な態度です。
「なに?」「はぁ?」、こんな返事では人の話を聞く態度は到底できません。
次の3、「靴は揃える…」。日本では靴を脱ぐ、はくというのは内と外のけじめです。靴を揃えることによって「内」と「外」の気持ちのけじめをもしっかり身につけることになるのです。
最後に4、「立ったら椅子を入れる」。椅子を入れる動作は立つ、座るの切り替えです。このことで「動」と「静」の気持ちのけじめをつけることになるのです。
森先生は「これだけをしっかりしつけられれば他のことは自然と身についてくる」とおっしゃいますが、説明を聞くと「なるほど」と思わされるものがあります。
どうぞご家庭でもこの四大原則、実行してみてください。もちろん大人も一緒に、です。
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やる気に水をささない
パナソニックの創業者、松下幸之助さんは私の尊敬する人の一人ですが、彼の言葉に
「出鼻をくじくな、やる気に水をさすな」
というものがあります。
創業前に勤めていた会社で、苦心に苦心を重ねて作り上げたソケットを、
主任に「ダメだね」と一言で片付けられ、悔し涙を流した松下さん。
彼はそんな経験もあって次のようなことを心がけてきました。
「事業を起こしてから、従業員のやる気を尊重し、たとえば、何かを命じるときも、
『このようにやろうと思うのだけれども、君はどう思う』と、部下の自主性が加わるように
導いてきました。
松下は、『人間というものは、もともと働きたい、人のために役立ちたいという気持ちをもっている。だから部下に働いてもらうコツの一つは、部下のやる気に水をささないこと、つまり部下の自主性に従いつつ導くことだ』と言います。(中略)『出鼻をくじくな』ということは晩年の松下が幹部にたびたび訴えていたことでした。
企業だけでなく、家庭における子育てにも大切な心得ではないでしょうか」(PHP谷口全平氏)
いつもお話しているとおり、幼児期は人格形成の上でとても大切な時期です。
この時期に、両親をはじめまわりの大人から、出鼻をくじかれず、やる気に水をさされることなく
上手に導かれた子は、きっと前向きで積極的な子どもに育つことでしょう。
さらには同時に「思いやりの心」をしっかりもった子に育つに違いありません。
なぜなら松下さんがおっしゃるように、人間がもともともっている、
「人のために役立ちたい」という気持ちをも育てることになるからです。
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夏休み中の今月は、「文部省がようやく『自由保育』の弊害を認識し始めた」、という内容の新聞記事を紹介します。
少し長いのですが、じっくり読んでみていただきたい内容です。
幼児期の「道徳教育」やしつけの大切さは何度もこのコラムの中でもお話してきました。
本当に「ようやく」という印象です。
これを機会に今まで「自由放任・わがまま助長保育」を行ってきた幼稚園が、誤りに気づき、その保育を改めてくださることを心から望んでいます。特に京都は保守的で、「自由保育幼稚園」が多いものですから。
平成12年7月26日 産経新聞「主張」欄より
「幼稚園教育」 間違い多かった自由保育
文部省の幼児教育に関する研究班は幼稚園教育について、従来の「自由保育」を強調した考え方を改め、「道徳性の芽生え」に重点を移した中間報告をまとめた。
過去の誤りを認め、軌道修正した点を評価したい。
自由保育の考え方は、平成元年に改定され今年3月まで施行された旧幼稚園教育要領に盛り込まれていた。
幼児の主体的活動を促す教育をうたい、自発的な遊びや一人ひとりの特性を重視したものだ。
だが、幼稚園教育の現場では、その自由保育が行き過ぎた結果、園児が好き勝手にふるまう傾向が強まったと云われる。
机の上に乗ったり、階段の手摺りを滑ったりしても、注意しない先生が増えた。ブランコや滑り台でも、園児が順番を守らなくなったという。
こうした態度が小学校に持ち込まれ、学級崩壊の一因になっていることを多くの教育関係者が指摘していた。
中間報告は自由保育について「一部の幼稚園では、その趣旨を誤解して幼児を放任する保育が行われた」としたうえで、4月から施行された新幼稚園教育要領が求める道徳性の芽生えの重要性を改めて強調している。
これまで自由保育に重点を置いていた幼稚園は、出来るだけ速やかに、新教育要領や中間報告に沿って指導方法を改めて欲しい。そして、小学校とも連携し、学級崩壊などをくい止める為に力を合わせるべきである。
われわれは自由保育の教育論が求める幼児の主体的活動や自発的な遊びを全否定するつもりはない。だが、幼稚園では、集団生活のルールや善悪の判断力を身に付けさせる教育が基本である。まず、悪いことをしたら叱り、良いことはほめる。朝のあいさつや食事のマナー、先生を敬う態度も教える。主体性や自発性の育成は、こうした基礎教育を行ってからの話である。
中間報告は幼稚園に対し、「保護者自身が保護者として成長する場」としての役割も求めた。続発する少年の凶悪犯罪防止策として、「親の再教育が必要だ」ともいわれる。
保護者側もただ、わが子を幼稚園に預けっぱなしにするのではなく、保育参観や保育参加を通じ、子育てのあり方を互いに学びあうべきである。
さらに、忘れてならないのは、幼児教育の責任はまず親にある、ということだ。かつては、子供が小学校に入る前のしつけは、主として父母や祖父母が行ったものだ。
核家族化が進み、共働き家庭が増えたこともあって、昔のようにはいかないかもしれないが、もう少し、子供のしつけに熱心になってほしい。
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ある日の救急病院
昨年、あるお客様を京都駅まで迎えに行った時のこと。
階段から降りてこられるその方の様子がおかしい。同行されていたもうお一人がおっしゃるには、
「車内で急に心臓が痛くなられたのです」
そこで私は二人を車に乗せ、とある救急総合病院へ急ぎました。
救急の受付で事情を話し、すぐに診察をお願いしました。
ところがです。その担当の看護婦さんが
「あちらの何番窓口で手続きをしてください」
とおっしゃるのです。
さすがの私も「とにかく一刻も早く診ていただきたい」とお願いしましたが、
ガンとして聞き入れてもらえません。
しかたなしにその窓口へ行くと10人余りの一般外来の方が並ばれている。
隣にもう一つ受付があるのに、です。マクドナルドなら、「お並びの方、こちらへどうぞ!」という場面です。
この病院には病院の事情があって、それぞれの職員さんは一所懸命自分の職務を
こなしていらっしゃるのでしょう。病院とマクドナルドを一緒にする私がおかしいのかも知れませんが、
「心臓の具合が悪い」と救急で入ったにもかかわらず、この対応では首をかしげずにはおられません。
そういえばちょっとした風邪などでも1時間以上待たされる、ということもざらにあります。
何事もサービス優先するべきだとは思いません。しかし、どうも「こちらは診てやっているんだ」
という意識が伝わってくるときが多くあります。
常々私は職員に、決してお子様を「預かってあげている」という意識ではいけない、
「預けていただいている」という気持ちでいなければならないと話しています。
それでこそ保護者のかたも「預かってもらっている」と感じていただけるし、
そこから信頼関係も築いていけるものだと思うのです。
「殺人ゲーム」の影響Copyright(C)2000 by KASUGA KINDERGARTEN. All right reserved
「一度人を殺してみたかった」
その動機自体にみなさんも驚かれたことでしょう。しかし私は今後、この種の考えられないような事件がどんどん起こってくると思っています。
その要因は家庭でのしつけ、幼稚園や保育園また学校教育、さらには社会環境などにあると思いますが、それにもまして大きな影響を与えているのが「ファミコン」や「テレビゲーム」だと考えています。それも殺人や格闘の要素のあるものの影響は甚大でしょう。
以前、「大変精密に出来ている脳にもひとつだけ"欠陥"がある」とお話したことがあります。
一例を挙げましょう。梅干を想像しただけで唾が出てくる、誰しも経験のあることです。つまり脳の「欠陥」とは「実際に体験したものと、想像したものとの区別ができない」ということなのです。
この「欠陥」をよいほうに使っている例がいわゆる「イメージ・トレーニング」と呼ばれるもので、スポーツ選手などが行っているという話はよく耳にされることと思います。
ところが「殺人・格闘ゲーム」も、繰り返し遊んでいるうちに、そのイメージが潜在意識の中に深く入りこみ焼き付いていってしまいます。一種のイメージ・トレーニングを知らず知らずのうちにやってしまっていることになりかねないのです。殺した相手がリセットボタンでまた簡単に生き返ってくる。ヴァーチャル・リアリティー(仮想現実)の世界とリアリティー(現実)の世界がごちゃまぜになって混乱してしまったとしても仕方ありません。
とくに人格の基礎づくりの幼児期にはこの手のゲームは避けてほしい。余計なお世話と言われようと、これは私の心からのお願いです。
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小刀の使い方
小学生のころ、父と竹とんぼをつくった記憶があります。確か「竹とんぼ手作りキット」のようなものだったと思いますが、小刀を使ってひごを削ったり、羽根の部分を削ったり。
作っていくうちに指を切ったりもしましたが、「こう持って、親指で押すようにするんや」などと父に教えてもらいながら、だんだんと小刀の使い方がうまくなり、指を切ることもなくなってきました。
現在の教育の現場を考える時、私はいつもこのことを思い出します。
何か問題が起こった時、
「これが原因だから、その原因をなくせばいい」
という発想だけで処理しようとすることがとても多いように思われるのです。
たとえば小刀で作業中に誰かがケガをした。保護者の方からクレームが来る。
「じゃあもう小刀を使う工作はやめよう」
という短絡的な発想です。
私はこれでは本当の「教育」ではなく、単なる責任逃れの「運営」になってしまうように思います。小刀でケガをする子もいるでしょう。でもまず、正しい使い方をもっとうまく教える方法はないか考える。そしてケガをしないで使えるように教えていく、同時に保護者への理解を求めていく。これこそが教育のあり方だと思うのです。
教育をする側が、原因を取り除くだけの簡単な方法でリスクを避け、安全地帯に逃げ込むのはあまりに無責任に思えるのですが。
幼稚園にも、またご家庭での子育てにも同じことがいえるようにも思えます。赤ちゃんだって何度も転びながら歩き方を覚えるのですから。
水曜日15:00までの保育にあたってCopyright(C)2000 by KASUGA KINDERGARTEN. All right reserved
ご入園・ご進級おめでとうございます。職員一同心あらたにがんばります。よろしくお願いします。
さて、今年からいよいよ水曜日も午後3時までお預かりすることになりました。これは以前にお知らせしたとおりのさまざまな要因からです。
しかし、保護者の皆様にぜひぜひ分っていておいていただきたいのは次の点です。
この水曜午後保育を始めると、職員のさまざまな保育準備時間にしわ寄せがくる、ということなのです。実際いままで、水曜の午後にまとめて準備したり、こなしていたことができなくなってしまいます。その上、土曜日の午後に残ってやることも殆どでした。
それがわかった上で今回「始めてみよう」と実施することに全員で決めました。
というのも何より「子どもたちのため」によいこと、を最優先に考えたからです。家に帰っても「ゆとりある生活」からほど遠い「ファミコンづけ」の子どももいると聞きます。もちろん昔のように勝手に外へ出て安全に、自由に遊べる交通事情ではない。それなら少しでも幼稚園という安全な環境で、大切な幼児期の時間を過ごしてもらいたい。これが私たちの心からの願いです。
ましてやこのことによって手抜きをしようなどとはまったく考えていません。それを補うためにはどうしたらいいか、もっとよい幼稚園にするにはどうしたらいいか、を一所懸命考えているところです。
どうぞみなさま、園長の点前味噌で勝手なお願いですが、すばらしい職員に励ましの言葉をかけてやってください。時間的に無理なことも出てくるでしょうが、どうぞそこは精一杯やっていてのこととご理解いただきたいと心から願っています。
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ひらがなのほうが簡単?
幼稚園ではもちろん、小学校一年生でもまずはひらがなから。それが国語の常識になっています。
私たちの子どものころもそうでしたね。そして文字を読むのと書くのを同時に教えられました。
たとえば「白」という字を「しろ」と読むのだということと「白」と書くことは同時に教えてもらいました。これを「読み書き同時教育」といいます。
でも、本当は読む能力と書く能力はまったく別もの。みなさんも読めはするけど書けない文字がきっとあるはずです。「ゆううつ」なんていう字、書けますか?でも読むことはできるでしょう。
漢字というものは記号なのです。子どもにとっては分解された文字である「ひらがな」より、そのもの自体で意味を持つ「漢字」の方がおもしろくて覚えやすい。「やま」より「山」のほうがイメージしやすいのです。大人でも同じです。ためしに次の文を読んでみてください。
きしゃのきしゃがきしゃできしゃした。
どうです、まったく意味がわかりませんよね。それを漢字まじりで書くと、
貴社の記者が汽車で帰社した。
朝食用シリアルとそれらがどのように作られてい
これならすぐに意味がわかります。
このように大人も子どもも関係なく、漢字を記号ととらえ、意味をイメージとして理解しているものなのです。
ですから、まずはひらがなからの国語教育、また読み書き同時教育もあまり理にかなったものとはいえません。
かすがようちえんで、名前を漢字で記したり、漢字絵本を取り入れているのはこのような「石井式漢字教育」の考え方から。
子どもたちの発達に合った国語教育へと見なおされるようになればいいですね。
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子育て一行詩
「幼児虐待」や「子育て放棄」ということばを聞かない日はない今日このごろ。そういう話を耳にするとなんだか胸がしめつけられる思いがします。そんな折、「子育ての楽しさ」をテーマに、京都府の城南地区の幼稚園で、一昨年募集された一行詩をいただきました。ホッとしますね。
あなたのおかげで少し優しくなれました あなたのおかげで友だちたくさんできました あなたがいてくれてありがとう(母)
「お母さん、メッチャ好き」ただその言葉がうれしくて 「お母さんも、メッチャ好き」と抱きしめてしまう私です(母)
ママ、ママと まとわりつく子 抱き上げた ほほの柔らかさに 腰痛を忘れる(母)
以上お母さんの作品です。腰痛が「ひどくなる」ではなくて、「忘れる」ところがいいですね。
お母さん、僕が大きくなって ラーメン屋さんになったら お母さんが何杯ラーメンを食べても 10円にしてあげるからね(息子より母へ)
がんばって立派なラーメン屋さんになってほしいものです。ついでに私も10円にして!
最後にお父さんの作品をふたつ。
「なんで昨日のうちにしとかへんの!」 時間割合わせる息子に向かって アイロン片手に君が言う ぼくのワイシャツも昨日のうちにお願いします(父)
私からもお願いします。
バレーボールをしている妻 寝ている間も練習してる バレー部はそんなにきびしいか?(父)
うちのバレー部はどうなんでしょう?
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ことばの麻酔
子どものころ、私は歯医者さんが大嫌いでした。(歯医者さんのお父さん、ごめんなさい)あの、ウイーンという音、麻酔の注射、恐ろしくて、少々の虫歯ならがまんしよう、そう思っているうちにどんどんひどくなったものでした。
今になってもあの麻酔の「チクッ」という瞬間だけは緊張します。でもそれなしでの治療を想像すると本当に麻酔はありがたいものです。
さて、あるとき、こんなことばを聞きました。
「人に動いてもらうには、まずよいところを褒めること。それから悪かったところを具体的に言ってあげるようにしなさい」
そうでないと、非難ばかりになって、相手は本当に「やろう」という気をおこさないそうです。
ご主人のために「今日はこった晩ごはんを」と張りきって作った料理、それを口にしてひとこと、
「なんやこれ?」
これでは二度と作る気が起きませんよね。せめて、「すごいね、こんな料理はじめてやね。難しかったやろ?」ぐらい言ってほしいものです。髪型をかえたとき、ちょっと時間をかけてお化粧をしたときも、「ええやん」ぐらい言ってほしい。それから「こうしたほうがええんちゃう?」と言われると「そうかな」と素直に聞けもするというものです。
考えてみると、「褒めことば」というのは歯を抜く前の「麻酔」のようなものかもしれません。麻酔なしで歯を抜いたり、神経にさわるなんて考えただけでぞっとします。
子どもを叱る前に、まず「ことばの麻酔」をかけておく。そう考えると褒めることの意味がさらにわかりやすくなるかもしれません。
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暗いニュースの陰で…
最近警察の不祥事が取り沙汰されています。しかし、一方でこんなお話もあります。
「先日のことですが、ある看護学校で講演をしました。講演のあと、そこの副学院長が『住職のお話の中には、人と人との出会い、という言葉がたくさん出てきますね』とおっしゃりながら涙を流されるんです。どうされたのですか、と聞くと『大分でお世話になった警察官の方を思い出したんです』と言われる。それは、こういう話なんです。
一昨年の五月のことです。娘さんが高知県内で水死したとの訃報を受け、身元確認と遺体引き取りのため、ご夫婦で高知へ向かわれた。大分県の佐伯市からフェリーで高知へ渡るため、車で出発されたのですが、大分県の地理が分からないため、午後九時ごろ、大分南署を訪れたそうです。そこの警察官は、事情を聞くと早速、出港時間を確認してくれたが、その日の最終便までに二時間ぐらいしかなかった。
そこで二人の警察官が『この辺の道路はわかりにくい。道に迷ったり、事故に遭うかも知れない』と、一人が同署のパトカーで先導し、もう一人は副学院長ご夫婦の車を運転し、途中まで案内してくれたそうです。
数日後、私は大分県警に講演に行ったので、その二人の警察官に会って話をしました。するとその警察官はこう言ったんです。『われわれの仕事は、人と人との出会いを、損得で考えたらできないんです』と。」(南蔵院、林覚乗著「心ゆたかに生きる」より)
私は別に警察の回し者ではありませんが、一方でこのような心で人と接し、また命がけで職務にあたり、殉職されている警察官が何人もいらっしゃることも忘れてはならないと思うのです。
「躾(しつけ)」の考え方 2Copyright(C)1999 by KASUGA KINDERGARTEN. All right reserved
「うちの子の通っている園では、食事は手づかみで食べる、大小便は立ったままどこでしてもいいということになっています。どうなんでしょう?」
あるお母さんから最近、実際私が聞き、耳を疑った話です。
どんな教育的配慮があるのかはわかりませんが、これでは自由を育む教育を通り越して動物の飼育と変わりません。
これほどまででなくても「お弁当を食べても食べなくてもいい、いつ食べてもどこで食べてもいい。それでこそ個性豊かで自由な子どもが育つ」という教育をしている園もあります。
「もう少し遊んでいたいけど、我慢して片付けて、手を洗ってみんなでそろって『いただきます』をする」。わたしは幼児期にこそ、我慢する体験や、こういう生活のルールを身につけさせてあげるべきだと思っています。
さて、次に問われてくるのが「どのように」しつけるか。「躾」というとどうしても「厳しく叱りつけて、強制的に」、というイメージがつきまといますが、私はむしろできるだけ「褒めて」しつけるべきだと考えています。できたこと、たとえば先の例でいえば、我慢して片付けられたら「ちゃんと片付けられたね」と褒めてあげる、そんな繰り返しの中でしつけていく。
時には叱ることも必要でしょうが、今度はしつける大人の側の我慢が問われることになるのかもしれません。
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「躾(しつけ)」の考え方 ―幼児教育へのレッドカード
つい先日、狂言師の野村萬斎さんがテレビ番組でこんなことをおっしゃっていました。
「天才を除いて個性には限界があると思うので、個性の伸ばし方を教えるためにも『型』が必要である、とぼくは考えています」
狂言の演技のポイントは「型」にあります。「型」とは、数百年かけて洗練されてきた細かい動きやせりふまわし、間合いを決めた約束事のこと。
「何もないのにいきなり『個性を伸ばせ』というのは無理だと思うのです。個性の伸ばし方として、方法論として『型』がある」
幼児教育の世界では「一人ひとりの個性を大事に」「子どもの主体性を育てる」「遊びを中心とした」「のびのびと、子どもの思いを大切に」などの耳ざわりのいいことばを掲げ、「躾」などは押し付けだと排除し、一見「自由」で「個性を大切に」しているかのように見える「放任保育」「わがまま助長保育」がはびこっています。
私は前述の、野村萬斎さんのことばの中に「躾」や「礼儀作法」の大切さを感じました。
子どもの思い、個性を大切にすることはもちろんですが、その前にやはり大人の側が「教える」ことも必要となってくるのではないでしょうか。
「躾」「礼儀作法」は、いくら待っていても子どもの中から出てくるものではありません。まず、ルールとして「教えしつける」ものでしょう。それは狂言でいう「型」とおなじだと思うのです。個性とは、型ができた上に、さらに上積みされていくもの。ルールのない自由は決して認められるものではありません。
「教育」を放棄した幼児教育に、そろそろ学級崩壊というレッドカードが出始めています。
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ルーティーンの「論語」 平成11年9月
「子曰く、古の学者は己の為にし、今の学者は…」
孔子の論語の一節です。四月からルーティーンに取り入れています。
以前から、論語をとり入れている幼稚園の例をいくつか知っていました。ある幼稚園は教室中「論語」だらけ、しかも「返り点」も何もない漢字ばかりの、いわゆる「白文」というやつです。
私は「これはやりすぎだな」と思っていました。 しかしあるときこんなことばを聞いたのです。
「どうして論語が二千年の間、人々に読まれてきたのか。それは本物だからです」
孔子が生きていた時代は今から二千五百年前。そしてその孔子の教えをまとめた「論語」ができたのは少なくとも二千年前です。それから現在まで、それぞれの時代の人々に愛されてきた論語は確かに価値のある、本物なのでしょう。
たとえば十年前のベストセラーがいまだに人気がある、という例は本当にまれです。それが二千年となるともう気の遠くなるような話、これは本物に違いありません。
あの湯川英樹博士は五つか六つのころ、おじいさんに論語などの素読をさせられたそうです。意味もわからず繰り返していた論語。
「私はこのころの漢籍の素読を、決して無駄だったとは思わない」。
後に湯川さんはそう書いていらっしゃいます。
大人の本を読み始めるとき、文字に対する抵抗は全然なかった、復唱するだけで知らず知らず漢字に親しみ、なれてしまっていた、そして人生を生きていく心の基盤を作ることになったというわけです。
この「論語」。今では子どもたちのお気に入りのひとつになっています。
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本当の「子育て支援」とは?
かすがようちえんの考え方
少子化、高齢化社会への対策として、「女性が安心して子どもを生み、そして働ける社会環境をつくろう」という声が高まっています。そしてさまざまなところで「子育て支援」を実施することが求められています。
では、私たち幼稚園ができる、そしてやるべき「子育て支援」とは何かをハッキリとさせておきたいと思います。
よく、実施例として「預かり保育・未就園児保育」があげられ、「これこそ社会のニーズにかなった子育て支援策」といわれています。
しかし、私は違うと思います。
「子育て支援」の目的は、決して、単純に「楽に子育てをしてもらう」ことでもなく、お母さんの子育ての負担を軽くするものでもないと考えています。
本当の「子育て支援」とは、お母さんに「子育てって楽しいな」と思ってもらえるようにすることです。
これをハッキリと認識しておかないと、単なる「子ども預かり業」になってしまいます。
お母さんのニーズを何でも「ハイハイ」と聞いて満足してもらうことによってお金儲けや園児獲得につなげていく、この姿勢は間違っています。
私たちは、時にはお客さんにあたるお母さんに「これでは困ります、こうしてください」とクレームをつけることも必要になる仕事をしているのです。決してすべてをお母さんにとって「便利なように、都合のいいように」対応していく仕事ではありません。
お母さんとコミュニケーションをとりながら、時にはぶつかり合いながら、「子育てはしんどい」と思っていたお母さんが「子育てって楽しいな」と実感してくだされば、さらに「もう一人ほしいな」とまで思ってくださればそれが幼稚園のできる、一番の「子育て支援」だと思うのです。
いろいろなサービスをしていくことはこれからも必要になってくるでしょうし、「預かり保育・未就園児保育が絶対だめ」といっているのではありません。私がいいたいのは、このことがわかってやるのと、お母さんのニーズがあるからといって何でもかんでもやるのとでは大きな違いがあるということなのです。
「本当の子育て支援とは、『子育てって楽しいな』と思ってもらえるようにかかわっていくこと」
この認識を私たち幼稚園教諭の、少なくともかすがようちえんの共通認識にしておきます。
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積極的な「心構え」を育てるには? 平成11年7月
では、「積極的な心構え」を育てるために、どのような教育をしているのか、をお話します。
まず、前回触れた、習慣のできるプロセスを思い出してください。
「ある出来事」に対してとった「特定の行動」が「満足行く結果」を生んだら、それを繰り返すことによって「習慣」が出来上がります。
子どもが新しい課題、たとえば鉄棒で「逆上がり」にチャレンジしたとしましょう。うまく行ったらまず自分が満足します。その達成をまわりの大人が見逃さず、まず認めてあげる。そして褒めてあげる。これによって子どもは「次もやってみよう」と、単に鉄棒だけにとどまらず、「新しい課題」に進んで取り組む心構えを作り始めます。
でも大切なのはうまく行かなかった場合。
「なんでこんなことできひんの!」
と、しかるのではなく、できたところまでの成果を十分認めて、褒めてあげることが、実は大切なのです。
たとえば、10のことを言って、5できたらどうするか。こんなとき、「なんで5しかできひんの!」としかるか、「5もできたね、あとこうすればもっとうまくできるよ」といってあげるか。この違いは子どもの「心構え」を育てる上で、大きな違いを生みます。
かすがようちえんでは全職員が子どもたちの達成を「褒め、励まし、認める」ことばがけを徹底しています。日常の生活の中で、大きな達成はもちろんのこと、ほんの小さな達成でも見逃さずに認め、褒めていくのです。
一言でいえば「いいところを見つける教育」。実はこれが「積極的な心構え」を育てる上で一番大切なポイントなのです。
かすがようちえんでは「積極的な心構えを育てる」ことを教育の柱のひとつにしています。
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「心構え」とは? 平成11年6月
かすがようちえんでは「積極的な心構えを育てる」ことを教育の柱のひとつにしています。
では「心構え」とはなんでしょうか。今回はこれについてお話します。
人は「ある出来事」が起きると「特定の行動」を意識してとります。そしてその結果が満足の行くものだったとしましょう。すると、次に似た「出来事」が起きたときにはまた同じ行動を選ぶものですよね。
これが何度も繰り返されると、このプロセスをひとまとめにしてしまいこみ、その状況がいつ、どこで再び発生しようとも、無意識に、自動的にその「特定の行動」をとるようになります。
そう、これが「心構え」です。これでお分かりのように「心構え」とは、「考え方の習慣(くせ)」に他ならないのです。
ですから「積極的な心構え」をもった子は、難しそうなことに出会っても「やってみよう!きっとできるに違いない」と取り組みます。でも「消極的な心構え」の子は「ぼくにはできない、できるわけないからやめとこう」と反応します。
こわいのは、先に言ったように、「無意識に、自動的に」必ず反応してしまう点。だからこそ「習慣(くせ)」なのですが、いったん身についたらなかなか変えられないのもこの「心構え」の特徴。
しつけや基本的な生活習慣と同じくこの「心構え」の基礎もやはり幼児期に出来上がってしまいます。この点は今までの幼児教育で見逃されてきた大切なポイント。
そこで、かすがようちえんではSMIの理論に基づいて、子どもたちの「積極的な心構え」を育てる教育をしているのです。
次回はその教育法についてお話します。
しつけの四大原則 平成11年5月Copyright(C)1999 by KASUGA KINDERGARTEN. All right reserved
今年度から、ルーティーンの最初にみんなでいう「今月の心構え」の後に、「生活の四大原則」を加えることにしました。
1 挨拶をする。これは、森信三という高名な先生のお考えを拝借したもので、先生は「しつけはこれだけやれば十分」とおっしゃいます。
2 返事は「ハイ!」とはっきり元気に。
3 靴はそろえる・靴箱に入れる。
4 立ったら椅子を入れる。
「こんなことだけでいいの?ほかにもいっぱい大事なことがあるのに…」 そう思われるかもしれません。実際、私もそう思っていました。
でも、ある時、森先生のお弟子さん、綱沢先生がこうおっしゃったのです。
「これだけ?と思われるかもしれません。しかし振りかえってみると、あれもこれもと思ってしまって、この四つのことさえ十分にしつけられていないことも多いのではないですか?ですからまずはこの四つをしっかりしつけようと集中することが大切です」
なるほどその通りです。あれも大事、これも大事と注意が散漫になって、結局何も十分にしつけられていないことも多い。でも、この四つをしっかりとしつけようと心がけているとほかのことも、いつの間にか自然と身についてくるものだとおっしゃいます。
反対に、この四つさえしつけられないのに、ほかのことが十分にしつけられるわけがない、というのも本当でしょう。
ご家庭でもこの四大原則をまずしっかりと身につけられるよう心がけてくださいね。
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かすがようちえんの向かうところ 平成11年4月
ご入園・ご進級おめでとうございます。職員一同心あらたにがんばります。よろしくお願いします。
昨年、「園是」をまとめました。まったく新しく、というわけではなく、今まであったものをまとめて整理したものです。
「一体、何のために幼稚園をやっているのか」「そして、どんな子を育てたいと考えているのか」などをハッキリとさせなければならない。単に園児をたくさん獲得したい、とか、経営をうまくいくようにしたい、とかいうためだけに一所懸命になるのはおかしい、と思うのです。
その「園是」を今回は紹介してみたいと思います。毎朝の朝礼で唱和しています。
園 是 私たちはのびのびとした心の教育を実践し、「幼児は大人よりも能力が高い」という考えのもとに子どもたちの潜在能力をひきだし、「褒め、励まし、認める」ことによって積極的な心構えを育てます。同時に幼児期を、「人たるべき道」を教えしつける最もよい時期と考え、躾や道徳教育を大切にします。
そのために、まず私たち自身が自分に秘められた潜在能力を信じ、仕事に使命と誇りと喜びを感じ、常に感謝の心を忘れず、いつも笑顔で明るく積極的に行動します。
そして、宇宙の真理に悟り、世界の平和と共存共栄を実現する人間を育てます。
かすがようちえん
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心ゆたかに生きる 平成11年3月
足が不自由なため、車椅子で中学校へ通う子をもつ小松まりこさんのお話です。(心ゆたかに生きる」南蔵院住職 林覚乗師著より)
三年間また当番を決めて友達が送り迎えをしてくれました。そして、小松さんの息子さんはからだが弱いから欠席も多かったけれども、なんとか卒業までこぎつけました。
ところが、風邪をひいて、晴れの卒業式に出られなくなってしまいました。
そのときに
「お母さん、小学校六年間、中学校を三年間支えてくれた友達に、僕、お礼が言いたい」
と言って、朝、ベランダに出て卒業式に行く友達を見送りました。
みんなが手を振って「おまえの分までがんばってくるからな」と言って、卒業式に行きました。
お父さんが早く帰ってきて、家で親子三人で卒業祝いをする約束でした。
昼ご飯どきにチャイムが鳴ったから、お母さんはお父さんが早く帰ってきたと思って飛んでいかれた。そしたら、そこに立っておられたのは卒業証書を持った校長先生と各学年の先生方と友達でした。
そして、校長先生が
「今から、お宅のお子さんの部屋で卒業式をしたいんですが、よろしいでしょうか」
とおっしゃいました。
車椅子の息子さんとお母さんを前にして校長先生が卒業証書を読まれ、各学年の先生たちが「よくがんばったね」と握手をしてくれました。
友達が拍手で祝福してくれたときには、息子さんはうつむいて涙を流していました。
「息子は三年間中学校で何を学んだか分かりませんが、優しさが人をすばらしい人間に変えていくということを学んでくれたら、それだけで十分です。学校で習った勉強よりも、もっとすばらしいものをうちの子どもは学んだ気がします」。
母親の小松さんの言葉です。
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11月の珍体験 平成11年2月
去年の11月15日。その日は日曜日で、しかもみなさまご存知のように「七五三」のピークの日。
その朝、一本の電話がありました。有名企業の 女性からでした。
まだ若そうなその女性は、あまり上手ではない敬語で、
「組合のボランティア研修のため、境内の掃除をさせてください」とおっしゃるのです。
ご祈祷がたくさんお越しになるのはわかっていましたが、「研修のため、というのなら」と、
「いいですよ」と答えました。
すると、
「集めた落ち葉で焚き火をしてもいいですか?」
さすがに、建物に燃え移ったりすると困るので、それはお断りしました。
「そうですか。それではあとでうかがいます」
電話を切ったあと、すぐに箒を数本用意して待っていました。
ところがお昼前になっても来られない。遅いなと思いながら待っていると、今度はその会社の別の男性からの電話です。
「焚き火をさせていただけないそうなので、それではボランティアの研修になりません。私たちは回りの方に声をかけ、手伝ってもらって、その方々と一緒に、焼き芋をして食べるという活動を考えています。ですから今回は遠慮させていただきます」との断りの電話でした。
何歳で子供が親を決めることができます
この話、どうもおかしいと思われませんか?一体この人たちは、こちらの好意や気持ちをどう思っているのか、それにもまして「ボランティア」の意味をわかっているのか。自分たちの思いどおりにすすめるボランティアってあるのでしょうか?
れっきとした一流企業で、しかも研修のためと聞いて、その会社は大丈夫なのかとても心配になりました。
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谷 昌恒先生の講演からA
谷先生の教育観に私は感銘いたしました。今回はそのことについてお話しします。
谷先生はおっしゃいます。
「親は、子どもに『できるだけよい環境で育ってほしい』という願いと、『どんな悪い環境でも負けない子に育ってほしい』という二つの矛盾する願いを持っています」
世の中は何ごとも練習。後者の、「悪い環境に負けない子」に育つためには、「悪い環境」の中で練習を重ねて習熟する必要があるのです。
「よい環境ばかりで育ち、ひょっこり悪い環境に突き出すと、それに負けてしまいます」
要するに、非行に走ってしまうのです。
「教育とは、矛盾し、両立し得ない二つの願いを持った楕円だ」、これが谷先生の教育観です。
それでは、よい環境の中で悪い環境に勝てる子どもを育てるにはどうすればよいか。
「江戸時代の学者、貝原益軒のことばに『子どもには三分の飢えと寒さを与えよ』というものがあります」
こうして親がわざと我慢する練習の機会を作り、「悪い環境」に負けない、「我慢する心がまえ」を身に付けさせることが大切だと断言されます。
子どもの数が減り、大切に育てるがゆえに過保護・過干渉になる。それは決して子どものためになりません。同時に、「自由にやりたいことをやらせる」というのも恐ろしいことだと思います。
やはり、幼児期のしつけや道徳、基本的生活習慣が大切ですね。こういうことを、行き当たりばったりではなく、一貫して身に付けていけるようにしてあげてください。
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谷 昌恒先生の講演から@
谷昌恒先生は、北海道遠軽の「家庭学校」の元校長先生。この「家庭学校」は親も学校も手を焼いて、もうどこも受け入れられない非行少年の学校で、日本にただ一つの男子教護院です。
谷先生はその学校で生徒たちと寝食を共にし、30年余り校長として務めていらっしゃった先生です。
「この学校に来る子どもにはあるパターンがある」谷先生はおっしゃいます。
「元から暴れん坊でどうしようもないという子はほとんどいない。10人の内、9人までが小さい頃はホントにいい子だったんですね」
子どもたちは家庭で大切に育てられ、何でもいうことを聞く「いい子」だった。両親は「子どもの意に沿うように、意に沿わないことはさせない」という子育てをしてきた。
これは子どもにとって、すごく快適な環境です。
子どもの世界が「家庭」という小さな範囲ではそれでよかった。それが成長するにつれ、学校・社会へ世界が広がるうちに、適応できなくなり、社会からはじきだされる。それに気付き、あわてて家に戻って来る、その時が、子どもの変わる時だそうです。
「どうして俺をこんな風に育てたんだ!」
それから突然家庭内暴力や非行に走り、果てはこの家庭学校にやってくることになる、そう先生がお話しされていました。
「『子どもの意に沿うように、意に沿わないことはさせない』という子育てはダメです」
実際に30年余りも家庭学校の校長をされているだけに、教育評論家たちの言葉よりもはるかに重く聞こえてきました。
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「何を」より「どのように」が大切です
直前まで天候に気をもんだ今年の運動会。台風一過の秋空のもと、無事終了しました。
いつもながら子どもたちの楽しそうな姿を見るのは本当に嬉しいものです。
ルーム4も鼓隊演奏、頑張って堂々と素晴らしかったですね。
この鼓隊を見て、「軍隊みたいでよくない」とか「きっと厳しく叱られながら練習させられたんだわ」という感想を持たれる方もあるようです。
でも、かすがようちえんでは子どもたちの「できたこと」を認め、褒める教育をしているものですから、みんな鼓隊が大好きになってきます。イヤイヤ練習する子などいません。
「きのうより上手になったね!」
「バチがそろってきたよ!」
と、いいところを見つけ、褒めるのです。
そうすると、かえって「先生、今日太鼓の練習ないの?」「太鼓の練習しよう!」と子どもたちの方からいってきてくれます。
幼稚園によってはできてないところを注意し、叱り付けることによって練習しているところも多いようです。そういう幼稚園の廊下を歩いていると、子どもたちが「助けて」というまなざしで窓からこちらを見ているそうです。ぞっとしますね。
それなのに、完成した「鼓隊」を見て、親は感動するのです、その練習の過程につぶされたものも知らずに。
「何を教えるか」より、それを「どのように教えるか」の方が大切ですよね。「鼓隊」は子どもたちの「やる気」を育て、「達成感」を味わえる成長の手段でなければ意味がありません。
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こんな小学校を作りたい
テストで、
「思いやりの心とは何ですか」
という問題が出たとしましょう。
何と答えればよいのでしょうか。少し考えてみてください。
「相手の身になって考えること」、
これが正解です。
さて、A君はそう答えてマルをもらいました。
ところが彼は、バスでお年寄りが前にたたれても席を譲るようなことはしたことがありません。
「そんなん、自由やんけ!」という考え方。
反対に、Bさんは、いつもお年寄りに席を譲り、友だちにも優しく接する、文字通り「思いやりの心を持った子」。でもテストでは正解がかけなくてバツでした。
私は、今の学校教育の問題の一つがここにあると思っています。いわゆる「点数主義」。実際にその子がどうかより、テストで正解できるか、よい点が取れるかですべてを評価してしまうのです。
この場合、Bさんに、
「いつも思いやりの心で人に接していますね。あなたは、その心が分かっている人です」
と、花マルをつけてあげられる、そんな「心」をもった教育はできないものかと常々思っています。
そして、そんな配慮や評価をする小学校を作りたいなぁと夢見ています。もちろん今のかすがようちえんの方針、「できないことを叱るのではなく、できることを認め、褒める」が教育理念。
子どもたちが本当に、「学校が楽しい!」と通ってくれる、そんな小学校がきっとできそうな気がします。
子どものやる気を育てるには?A 平成10年9月Copyright(C)1999 by KASUGA KINDERGARTEN. All right reserved
前回、子どもにやる気を起こさせたかったら、自分からやりたくなる内発的なモティベーションをおこさせることが大切だと書きました。
だれでも「子どもにやる気をおこしてほしい」と願っています。実は単純な原理でそれができるのです。
そのためにはまず、やる気の3要素と呼ばれる条件を揃えましょう。
ひとつ目は「好奇心」。人はあるものに好奇心をもったとき、「知りたい・試したい」という欲望が生まれます。
二つ目は「目標」。目標が明確にあるとき、つまり「なんとなく」ではなく、「あれが欲しい・ああなりたい」とはっきりとしたとき「達成したい」という欲望が生み出されます。
三つ目に、「報酬」。この報酬とは物やお金などではなく、「褒められること・賞賛」など。これが「手に入れたい・やりたい」という欲望を生みます。
この3要素はそれぞれ脳の視床下部という欲望を司る部分を刺激し、「TRH」というやる気をおこすホルモンを分泌させるのです。
ですから例えば「自転車に乗れるようにならせたい」と思えば、まず上手に乗っているお兄ちゃんや友だちの姿をじっくり見せ、自転車にさわらせたりして好奇心をもたせるようことばがける。同時にそれが目標となります。そして練習を始めたらどんどん褒めて励ましてあげる。これを繰返すのが一番の早道です。(鼓隊もこの方法で練習しています)
そしてそれが「ほかのこともやって見よう」という積極性をも育てることになるのです。
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子どものやる気を育てるには?@ 平成10年7月
1年程前、ラグビーの日本代表チーム監督、平尾さんの講演を聴く機会がありました。
「怒られるからやる」という外発的なモティベーションではダメで、「勝ちたい、こうしたい」という内発的モティベーションを育てなければならない、という内容でした。
モティベーションとは「意欲・やる気の動機づけ」のことです。
今、かすがようちえんで理念にしている「積極的な心構えの教育」と同じ考えで、職員とともに納得して帰ってきました。
人をやる気にさせるには次の3つの方法があります。大人も子どもも同じです。
@恐怖によるモティベーション
A報酬によるモティベーション
B心構えによる内発的なモティベーション
@は罰や叱ることなどによるもの。「・・・しなかったらご飯たべさせへんしな!」などがこれです。
Aは「ごほうび」でつる方法。
この2つは外発的なモティベーションです。そしてそれぞれ明確な弱点があるのです。
@はやる気を出すより、そのうち罰にたえるか反抗することを選ぶようになります。Aの「ごほうび」はどんどんエスカレートする、もらって当たり前になるなどの結果を生みます。
ところがBは自分から進んで「やりたい!」と思うもので、弱点がありません。
子どもにやる気をおこさせたかったら@とAをうまく使いながらBのモティベーション、つまりやりたくなるように動機づけることがポイントになるのです。
その方法は次号でお伝えします。
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絶対に使ってはいけないことば 平成10年6月
いつだったか中・高校生のカウンセリングをなさっている方とお話しをする機会がありました。
「やっぱり、不良とよばれる少年たちは自己中心的ですね。そしてとにかく悪いことはみーんな人のせい。原因を自分に求める姿勢がありません」
「そうですか」
「ところで米川さん、そういう少年たちが『父親を、母親を殺してやりたい』と思った瞬間はどんな時だと思われます?」
「さぁ、どんな時ですか?」
「それはね、『誰のおかげでここまでなれ大きくなれたと思ってんにゃ!』『誰のおかげでこの世に生まれてきたの!』の一言をいわれたときなんですよ」
「誰のおかげで」がこんなに決め手になることばとは思ってもみませんでした。
「誰が生んでくれて頼んだんや!勝手に生んどいて偉そうにいうな!」
少年はきっとこう答えるに違いありません。これでは親子の絆などとても望めませんよね。
「誰のおかげで」の一言は「してやってる、させてやってる」という気持ちのあらわれでしょう。
考えてみると、私たちの日常会話の中にたくさんの「してやってる、させてやってる」が登場します。友人同士の会話にも家族の会話にも。
お互いがお互いを尊重しあい、理解し合うためにはこの「してやってる、させてやってる」をやめ、「させてもらってる、してもらってる」にかえていく。案外それが一番簡単で、一番大切なポイントになってくるものなのです。
絶対に使ってはいけないことば、覚えておいてください。
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「自由」とは何か?A 平成10年5月
ルールを守ってこその「自由」だ、と前回書きました。
例えば野球にしても、ヒットを打って、「おれは自由だから」と、3塁に走っていたらこれはもうおもしろくも何ともありませんよね。ゲームとして成り立たない。(野球のルールを知らない方、ゴメンなさい)
ルールを守ってやるからおもしろくなるんです。
考えてみれば世の中、ほとんどすべてのことにルールがあります。それを守ってこそうまく行くものなのです。
かすがようちえんではしつけや基本的な社会のルールを身に付けるのは幼児期が最適で、最も大切な時期だと考えています。この時期を過ぎると理屈ぬきで習慣づけるには大変な労力がいります。
「人にあったら挨拶をする」「親切にしてもらったらありがとうを言う」「靴を脱いだら揃えて置く」「使ったものは後片付けをする」などをしっかりと、繰り返しの中で身に付けてもらいたいと考えています。
「子どもの自主性を育てるために、子どものしたいようにさせています」という幼稚園もあります。
極端な場合、お弁当も「食べたい時に食べればいい、それが子どもの自主性を育てるのだ」とまでいうところもあります。
しかしそれでは社会のルールというのがまるでありません。行き先も示さずに子どもに「どこでも好きなところへいっていいんだよ」と放り出すようなものです。
幼稚園は社会生活の第1歩。
「自由」に、しかしルールを守れるように育ってくれることが大切ですね。
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「自由」とは何か?@ 平成10年4月
平成10年3月31日、「幼児期からの心の教育の在り方」についての中央教育審議会の中間報告が発表されました。
最近耳にタコができるほどよく聞く「心の教育」ということばですが、今回は家庭教育の見直しを求める異例のものとなりました。
さて、今回は「自由」ということの意味について考えてみたいと思います。
自由とは「自分のしたいようにすること」。これはみなさんご存じの通りです。ところがこの自由を守るためには「自由を制限しなければならない」という矛盾が起こってくるのです。
例えばあなたが車を運転しているとしましょう。
あなたは自由です。だからとにかく早く目的地に行きたい。目の前に赤信号。止まらなくてもいいのです、なぜならあなたは自由だから。交差点に突っ込んだ。横からこれまた「自由」な他人が突っ込んできて…。
「自由」を守るためには自由を制限しなければなりません。この場合、「信号を守る」というルールによって制限されるのです。このルールが法律や社会規範、道徳、しつけで、これを守ることによって社会生活がうまく行くわけです。
「何でも自分のしたいようにすること」は単なる「自分勝手」。「自由」の本当の意味を幼児期からしっかり教えていきたいものです。
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暗示の魔力「プラシーボ効果」 平成9年3月
以前に、思い込みが無意識に作用してしまう心理効果として「ピグマリオン効果」を紹介しました。
今回は、それに似たもので「プラシーボ効果」というものを紹介しましょう。
プラシーボとは医学用語で「偽薬」のこと。暗示が人体にどれだけ大きな影響を与えるかというよい例の一つです。ある実験を紹介します。
車に酔いやすい人を16名集め、8名ずつAグループ、Bグループ、2つのグループに分けます。
そして、それぞれ30分間バスに乗ってもらいます。そのバスはS字カーブをぐるぐる回ります。
ただし、Bグループの8名には
「新しく開発された、すごくよく効く酔い止めの薬です」
といって単なる乳酸をのんでもらいます。Aグループは何ものまずに乗ってもらいます。
さて、結果はどうなるでしょう?
走り始めて15分間でAグループは8人中6人が
「気分が悪くなった」
と、バスを降りてしまい、30分後にはだれも乗っていられませんでした。
ところが薬をのんだBグループは30分たってもだれも酔う人はいません。その薬が酔い止めなどでなく、ただの乳酸であったのにも関わらずです。
このように他人(この場合は医師)からの暗示は、人間の体に大きな影響を与えることがあります。
「うちの子は・・・だから」と決め付ける前に、普段どんな暗示を与えているか振り返ってみることも大切ですね。
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自分をどれだけ評価しているか 平成9年2月
日本・中国・アメリカ・スウェーデンの小学5年生を対象にした、ある調査の結果があります。
調査内容は「自分をどれだけ評価しているか」というもの。それぞれ最も高かった国と日本のポイントを紹介します。
@「自分は成績がいいほうだ」 アメリカ34 日本6.5
A「自分は正直だ」 中国50 日本9.5
B「自分は親切だ」 中国51 日本11
この結果を見ると、日本人の子は極端に「自己評価」が低いことが分かります。
いいかえると「自己受容感」つまり、「自分は精一杯やっているよ」という気持ちを持たずに日々を送っている子が多いということ。いつも「もっと頑張らなければいけない」というプレッシャーの中で生きているともいえます。
日本のある小学校高学年を対象にした別の調査の例を見てみましょう。
「成績が悪い原因は、何だと思うか」のアンケート、選択肢は次の4つです。
@頭が悪い
A努力が足りない
B先生が悪い
C内容が早く進み過ぎる
さて結果はどうだったと思われますか?
「A努力が足りない」が何と86%で、あとはそれぞれ3〜4%程度。外国ではきっとBが圧倒的に多いと思われます。もちろん、先生のせいにばかりするのもどうかと思いますが、やはり日本の子は「自己受容感」が低いのが分かります。
いじめにあう子は極端に自己評価や自己受容感が低いといわれています。日頃の小さな達成を認め、励まし、褒める。それも他人と比べるのではなく繰り返すと「自己評価」が育っていきます。
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夢を実現する原動力=欲望 平成10年1月
「欲深い人間になるな」
私たちは幼い頃からよくそう諭されてきました。
これは儒教や仏教の考え方からきています。それが、あまり大きな望みをもつことを避けてしまう消極的な心構えを多くの人々に植え付ける結果となっています。マインドコントロールされ、洗脳されているのです。
人生に夢を持ち、幾多の困難や障害を乗り越えそれを成し遂げて行く、だれでもがそうありたいと望む理想の姿です。そして実はその夢実現の原動力が欲望に他ならないのです。
「月へロケットを飛ばしたい」
そう強く願い、その実現を夢み、激しい欲望をもった人たちがついにそれを実現しました。
「小児麻痺をこの世からなくしたい」
その欲望をもやし続けた人たちがポリオワクチンを開発しました。そして多くの子どもたちが小児麻痺の恐怖から救われました。
もってはいけないのは「私利私欲」といわれるもの。正しい欲望は是非もつべきなのです。それこそが、子どもたちがこれからの人生で夢を実現していく原動力になるのです。
今月の心構えは「想像するって楽しいな」。幼児期の無邪気な想像力を大人になってもずっと持ち続けていける人、そういう人が天才的といわれる偉業を成し遂げて行くのだと思います。
「そんなこと、できっこない」と普通の人が頭から決め付けてしまうことを、情熱と欲望をもって実現していく、素晴らしいことです。
「もっと欲を持ちなさい」
みなさんのお子様には是非そういってあげてほしいと願っています。
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身長2.5mの巨人 平成9年12月
「子どもをほめよう」、このような考えでいますと本当に子どもたちの行動に、叱るような所が少ないことに気づかされます。「いいところ」ばかりが目についてしまうものなのです。
もちろんこの時期は、しつけや善悪などについてしっかり教えていかなければなりませんので、当然叱ることも必要になってきます。
ただ、叱るようなことばかりに目が行き過ぎがちなので、「ほめるほうにも心を向けておいてください」とお願いしておきたいのです。
さて、今回は試しに叱られているときの子どもの心境になってみましょう。
みなさんの身長は150cm〜160cmぐらいでしょうか。それに比べてお子さんは100cm〜120cmぐらい。約1.5倍としましょう。
ある日、あなたの身長の1.5倍、身長2.5mの巨人がやってきました。2.5mといえば一階の天井を突き破り、2階に頭が出るぐらいの高さ。もちろん力も強い。
その巨人があなたをどなりつけている光景を想像して見てください。その巨人はいつものあなたと同じ、このせりふをいうのです。
「なにしてんにゃ、あんたは!」
いかがでしょう。何と恐ろしい話しではありませんか。もういいなりになるしかありません。あなたが何をしてもこの巨人が繰り返しいうのです。
「ええかげんにしーや!」
自分から積極的に何かをしようとする気持ちがおきるでしょうか?
今度カーッときたら、この巨人の話しを思い出してください。
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「テスト」は何のため?
小学校にはいると「テスト」が登場します。幼稚園ではこのテストはありません。毎日のルーティーンも子どもたちが覚えているかどうかのテストをしません。いつもお話ししている通り、10示して10覚えることを求めているのではなく、1,000 のうち10でも残っていればいいという考えで行っているからです。
さて、この「テスト」。子どもの理解度や能力を知るために行われているようですが、私はこのやり方には反対です。
ましてやこのテストをもとに、教師と保護者との懇談で、
「お母さん、お宅のお子さんは読解力が今一つで、それに授業態度が悪いですね」
とやられるとなるとこれはもう大反対です。
私は、「テスト」とは、子どものためにやるのではなく、教師のためにやるものだと考えています。教師がどれだけうまく子どもに教えられているかを知るためのもので、つまりは教師の能力をはかるためのテストだと思うのです。
例えば60点だったら
「ああ、僕はこの子に60点分しか伝えられていないな」
と反省し、100 点の子には
「うまく理解してもらっているぞ」
と喜ぶ。そういうものだと考えるのです。
お母さんとの話しでも、
「今回は僕の力不足で60点でしたが、今後もっとよく理解できるように授業をしていきますからご協力お願いしますね」
という態度でなければならない。
教師として威厳をもつことは大切です。今の教師にはそれが足りなさすぎることもあります。が、「教えてやっている」という態度と威厳とは違います。
こういうところも教育改革していきたいところです。
どのようにあなた自身のクチコミ、Qをしていますか?
「ありがとう」をふんだんに 平成10年10月Copyright(C)1999 by KASUGA KINDERGARTEN. All right reserved
今月の心構えは「私を助けてくれる人『人からの助力に感謝すること』」。
「ありがとう」が素直にいえる子に育ってほしいですね。
子どもたちに「人に親切にしてもらったり助けてもらったりしたら『ありがとう』をいうんですよ」と、いくらいっても効果はなかなかあがりません。それより大人が身をもって、率先して子どもに「ありがとう」をいう、これが大切なポイントです。
ようちえんでは、まず教諭自身が子どもたちに対して「ありがとう」を頻繁にことばがけます。
ひとつ例を挙げて見ます。
水道がジャージャー出っ放し。だれかが出したままでいってしまったようです。
「ちょっと、水道止めてくれる?」
偶然通りかかった子にお願いすることがよくあります。
「はいっ!」
止めてくれたその子に
「ありがとう、先生助かったわ」。
当たり前のようですが、大人は案外このとき「ありがとう」をいわずにすごしがちなのです。
できて当たり前、してくれて当たり前と思い込んでいることにはなおさらです。
何か取ってくれたお父さん、お茶をいれてくれたお母さんにひとこと「ありがとう」をいう、この小さな心配りが習慣になっている家庭、素敵ですね。こうなると子どもたちの心の中に「人からの助力に感謝をする」心構えが育ち、しっかりと身についていくのです。
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昭和9年9月21日、室戸台風
夜来の豪雨に激しい風が加わり、傘もさせないような中、児童は淳和小学校(現在の西院小学校)に登校してきました。朝礼の頃から暴風雨はさらに激しさを増し、教室の窓ガラス越しに春日神社の大木の列が一斉に大きく揺れ動くのが見えます。
そんな中でも1時間目の授業が始まりました。
ギシギシと音をたてる木造2階建ての校舎。
「静かに押し合わないで廊下に出よ!出たら腰を下して頭を低くせよ!」
と先生の叫ぶ声。北校舎2階の3年生がやっとのことで講堂に避難した直後、未曾有の大惨事が淳和小学校を襲いました。
防火壁を境にして1、2階教室が瞬時にして倒壊。その下には1年生4クラス、200名あまりの児童と4名の先生が埋まってしまったのです。
最大風速75メートル、荒れ狂う風雨の中の救出活動。時を選ばず瓦が舞い落ちる。無事助け出される児童。すでに息がない我が子を抱いて泣き崩れる母親。
そんな中で、に組松浦学級の救出がなかなかはかどりません。
「この下に先生がいやはるぞ!」
棟木の下に、うつぶせに紺の袴をつけた束髪の女性、その両脇に抱えられた2人のこどもが目をパチクリ。先生にはすでに息がありませんでした。
松浦寿恵子先生の死因は倒れた棟木で後頭部のヘアピンが延髄につきささっての即死。両脇のこどもの無傷は先生が棟木を受け止めた結果でした。
この話しは師弟愛の象徴として現在までいろいろなところで語り継がれており、今でも西院小学校の入口に記念碑が建っています。
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ふたつの"やる気" 平成9年7月
子どものやる気すなわち意欲を大切にし、また育てるのが大切なことはいうまでもありません。
ところでこのやる気。ひとことでいってしまいますが実はやる気にはふたつあるのです。
ひとつめは自分の好きなこと、やりたいことを進んでやるやる気。ふたつめは「嫌だな、難しそうだな」と思うことにも「やってみよう!」と挑戦し取り組んでいくやる気です。
よくこのふたつを混同して子育てや子どもの教育を考えるのでややこしくなります。
幼稚園によっては「のびのび保育」の名のもとに「子どものしたいようにさせるのがこの時期は大切。それでこそ子どもの主体性が育まれる」という教育をしているところがあります。これでは前者の「やる気」は大切にしていますが、後者の「やる気」は育ちません。
大脳生理学によると、4歳頃に脳の「側坐核」というやる気を司る部分が発達するそうです。この時期に側坐核に刺激を十分与えずにおくと、つまり後者のやる気を鍛えないと、困難や障害にあたってもそれを乗り越えて行く勇気や自信がない子に育ってしまいます。自分のやりたいことには熱心に取り組むけれども嫌なことには見向きもしないようになってしまうのです。
ですからかすがようちえんではこの、後者のやる気も育てるために、子どもたちが難しいことに挑戦する機会も用意し、挑戦するその姿を「褒め、励まし、認める」教育を大切にしているのです。
「やる気」にはふたつあることを知っておいてください。そしてどちらのやる気をも、上手にバランスよく育ててあげることが大切です。
「ありがとう」は家庭から 平成9年6月Copyright(C)1999 by KASUGA KINDERGARTEN. All right reserved
田中喜美子さんの書かれた「いじめられっ子も親のせい!?」(主婦の友社)という本を読んでいて、共感するところがいくつもありました。
その一つを引用してみます。
『もしも、彼らが、家族の一員として意味を持つ役割を担っており、「僕がいなければ、お母さんはどんなに困るだろう」と考えられる生活をしていたならば、彼らははるかに強く、生に引き留められていたのではないでしょうか。』
いじめられ、自殺した子どもたちについての一文です。彼らは愛されてはいました。しかし「してもらう」受け身の愛情ばかりで「必要とされている」実感が乏しかったのです。
幼稚園でも7月の心構え「楽しいわが家」、9月「大きなことができるんだ」で家族関係の大切さと手伝いを通じて自信を育てることを強調しています。
幼児期の子どもにとって「自分は家族の大切な一員なんだ」ということを認識する一番の機会は「手伝い」です。でも、させるだけではダメ。その行為を認めることばが必要です。ちっちゃなことでも手伝ってくれたときには必ず「ありがとう」をいってあげる。お父さんにもです。
同時に子どもにも、家族に何かしてもらったら「ありがとう」という習慣を今、身につけてあげてください。
今までそうしているという方はさらに続けてください。でも、「そんなこといまさら恥ずかしくて…」と思われる方は、そう言わずにどうぞ今日から始めてください。
「ボクはワタシは家族の大切な一員」、この心構えは一生を左右します。
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顔色、見られていませんか?
さあ何かをしようと思っているとき、あっと思うことをしてしまったとき、まずお母さんの顔色を見る。みなさんのお子さんはどうでしょう?
幼児期は物ごとの善悪や、やっていいこといけないことの基準となる「価値観」を育む大切な時期です。
この価値観を教える最も優秀な先生はお母さん,お父さんです。そして最も大事なポイントはいつでもダメなことはダメ、いいことはいい、という「一貫性」です。
もちろん、家ではやってもいいけれどデパートではやっていけないことがあったり「価値観」にはTPOがあり、むずかしい面があります。しかしできるだけ一貫して原則的な善悪を教えていくことがとても大切です。
その日のお母さんの気分によって、叱られたり何もとがめられなかったりということがあったらどうでしょう?こうして育てられた子どもは、まずお母さんの顔色を見て「やる、やらない」を決めるようになります。
「今日は機嫌がよさそうだぞ」と思えばやり、
「機嫌が悪そうだ」と感じればやらない、お母さんの顔色が善悪の判断の基準になってしまうのです。
でも、親が一貫性をもって育てた子どもは「これはいいこと、これは悪いこと」を自分で決められるようになります。価値観がしっかり育まれているのです。
一貫して叱り、一貫してほめる。お父さんとも話し合って両親の基準を一緒にしていただければいうことありません。
"魔法のことば"を使いましょうCopyright(C)1999 by KASUGA KINDERGARTEN. All right reserved
入園・進級おめでとうございます。新しい年度に新しい名札、職員一同新しい気持ちで頑張りますのでよろしくお願いします。
4月の心構えは"魔法のことば"。
礼儀作法はしつけにも通じるものですが、幼児期に繰り返し、身にしみつくようにしてあげることがとても大切です。6歳を過ぎると一から習慣づけるためには相当な労力が必要になってしまいます。ですからこの時期に、理屈ぬきで自動的に(これをサイコサイバネティクスといいます)出てくるように習慣づけてあげてください。
挨拶やお礼のことばなどは社会生活を送る上での大切な潤滑油。笑顔で「おはようございます」「ありがとう」といわれると、いわれた方の気持ちが明るくなるものです。この、ことばの持つ力、これを園では"魔法のことば"と呼んでいるのです。
どの様にして教えていけばいいのでしょう。
子どもたちの脳は3歳まではプリント配線、それ以後6歳まではそれに加えて自分で考え判断することによってプログラムされていきます。つまりこの時期は身近な人の姿をコピーするようにプリントしていく時期。ですからお母さんの普段の姿が大切なお手本になるのです。
まず、お母さんが「おはようございます」「ありがとう」、魔法のことばを上手に、頻繁に使ってみせてあげてください。それがどんなものより素敵なお子さんへのプレゼントになります。
さあ家族から、そして幼稚園に登園するときからはじめましょう。
●園では便宜上、最も身近な方を「お母さん」と標記しています。ご了承ください。
上手なほめ方のコツACopyright(C)1999 by KASUGA KINDERGARTEN. All right reserved
以前にも書きましたが、子どもは「ほめられる」という形で家族の大切な一員だと認められることを望んでいます。ほめられるようなことをしたいのです。その反対に一番イヤなことは何かといえばそれは叱られることではなく、無視されること、つまり家族にとって「あなたなんかいらない」と思われることなのです。
叱ってばかりでほめることがなければ、「無視されるぐらいなら叱られることでもして注意を向けてもらうほうがましだ」と叱られることを繰り返すようになります。
ですからほめる叱るをバランスよく繰り返すことが大切です。ほめられることをしたときは心からほめ、叱るべきことをしたときは一息おいてまずほめるべきところがあればほめ、そのあとダメなところをいってあげてください。
このフィードバックを繰り返すと子どもはだんだん望ましい行動を取るようになります。
でも、他人の迷惑になることや危険なことなどに対しては即座に厳しく叱ってください。ただし次にそれができたときには十分ほめてあげることを絶対に忘れずに。
次のコツはほめるときは具体的にほめてあげること。
「今日はいい子だったわね」といってあげると子どもは確かにうれしく感じます。
でもこういう時には
「今日デパートでお母さんが友だちと会ったでしょう?あの時そばでおとなしくしてくれてお母さんうれしかったわ」
と具体的にいってあげると、子どもはお母さんが喜んでいるのはなぜか、次に同じようなことがあったときどうしたらほめてもらえるかがわかります。
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上手なほめ方のコツ@
かすがようちえんではいつも「子どもをほめてあげてください」とお願いしています。ほめることは子どもの積極的な心構えをつくる大切なポイントのひとつです。
育児書の中には「子どもをほめすぎるのはよくない」と書かれたものもありますが、それでは叱ってばかりいる親に「ほら、みてごらん」と変な自信を持たせてしまうことになりかねません。とかく人間は都合のいい方に考えがちですから。
いつもいうように「ほめる」のも心構え、つまりクセです。子どもをほめようと思えば親がまず、ほめるクセを身に付けなければなりません。
そしてそれは案外簡単に身に付けられます。その方法を書きますので是非試して見てください。
まず、この1週間は、子どものよいところを見付けようと決意してください。
どこかほめるところはないか「観察する」つもりで子どもを見ていてください。いつもは「なにしてんの!」と怒鳴ってしまいそうな時も、ひと呼吸おいて見てください。
そして、カレンダーや手帳に今日見付けた子どものよいところ、ほめたところをメモして見てください。
1週間続けるとだんだん子どもを今までと違った目でみれるようになります。なぜならクセになってきているからです。
子どもが変わったのではなくて、お母さんが変わったのです。
自分が変われば子どもが変わる。そして世の中も変わって行きます。
「本当に変わった」そんな声を是非聞かせてください。
"子どもはだれでも天才"の証明Copyright(C)1999 by KASUGA KINDERGARTEN. All right reserved
とにかく子どものこととなると大人の傲慢さには際限がありません。「子どもはしょせん子どもだから」「子どもにはまだ無理」の繰り返し。
本当にそうでしょうか?次のような場合を考えてみましょう。
山田君は東大の20歳の優秀な学生。彼を連れてきてこういいます。
「山田君、これから1年半、中部イタリアの小さな村で生活してもらう。そこで君にやってもらうことは現地のイタリア語を話せるようになることだ。」
ちょうどその時、みなさんのお子さんが通りかかった。
「そうだこの子も連れていってくれ」
山田君は現地で完全なイタリア語の指導を受けます。お子さんには何も指導はしません。現地の子どもと遊んだり、普通の生活をしています。
さて、約束の1年半がたちました。日本に帰ってきた山田君とみなさんのお子さん。果たしてどうなっているでしょうか?
山田君は優秀な学生ですから相当イタリア語が話せるようになっています。ただし、ひどい日本語なまり。
一方何にも指導を受けなかったみなさんのお子さんもやはり相当イタリア語が話せるようになっています。しかも滞在していた地方のなまりでイタリア人のアクセントで話しているはずです。
このことはどう説明すればよいのでしょうか?
答えは簡単です。子どもは語学の天才なのです。
「物ごとを吸収する能力は大人よりはるかに優れている」そんな目でお子さんを見直してください。
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EQ(こころの知能指数)=心構え
ダニエルゴールマン氏の「EQ」という本が話題になっています。大変におもしろい本なので是非お読みくださることをお勧めします。
内容を簡単にいうと「IQ偏重をやめ、EQを大事にしよう」ということ。
EQとは「こころの知能指数」。点数評価のIQと違い、自信・協調性など社会生活を送るうえで本当に大切な基本的能力のことをいいます。まさにかすがようちえんでいう「心構え」そのもの。
少し長くなりますが一部を引用してみます。
EQの高い子の積み木での実験例を紹介して、
「こういう子供は周囲の人々から褒められ励まされて育っているので、人生でささやかなチャレンジに遭遇しても、きっと成功できるという自信を持っている。
対照的に、冷酷で混乱した家庭、あるいは子供に無関心な家庭で育った子供は、同じ課題を与えられても、はじめから失敗するに違いないと思い込んでいる様子を見せる。
実際に積み木がうまくならべられないわけではない。実験者の指示は理解しているし、それに答えようとする協調性もある。しかし、たとえ課題がきちんとできたときでも、こういう子供は『ぼくなんかダメだ。ほら、やっぱり失敗した』と言わんばかりの卑屈な表情を見せる、とブレイズルトンはいう。
このタイプの子供は長ずるにしたがって敗北的な人生観を抱き、教師から励まされることも注目されることも期待せず、学校生活に楽しみを見いださず、やがて落伍していくことになる。」(P293)
このEQの基礎づくりはやはり小学校入学までが大事になってきます。日頃の「ほめる、励ます、認める」の繰り返しを心がけて下さい。
新園舎竣工にあたってのごあいさつACopyright(C)1999 by KASUGA KINDERGARTEN. All right reserved
今回の新園舎建築にあたっては「できる限りよいものを」と全体・細部に気をつかいました。実施にあたっては設計の宮崎氏の力に負うところが大きいのですが、まず「安全性」次に「機能性」の2点に特に気を配りました。
一般に冷たいといわれるコンクリート打ち放しですが、木材を多く使うことでかえってきれいなバランスのとれた空間ができ上がりました。
色の氾濫をおさえ、ポイントカラーに赤を一色使っています。もちろんコンクリートの角は極力出ないようにして、プレイルーム(1F)の柱の角にはコーナープロテクトが施してあります。スイッチ・取っ手類も子どもが触れるところとそうでないところとで高さを変えて、またガラスも子どもがふれる部分はすべてアクリルガラスで割れません。R1・2の蛍光管は万一落ちても粉々にならないものを使っています。
明るさ(採光)にも気を配り、晴れた日なら照明がいらないくらいです。それでいて陰の部分もでき、子どもに落ち着ける空間を提供しています。
次にトイレ。暗く不潔感がでやすい部分ですが、@各部屋に独立して作る、A採光・見通しを十分とる、B床を教室と同じにするなどで明るく清潔感のあるものにしました。子どもたちにもきれいに使う習慣ができています。大便器もそれぞれ年齢に合わせた大きさで設置しました。などなど。
「幼稚園とはこんなものだ」という考えにとらわれず、本当に子どもにとっていいものは何かに十分配慮をしたつもりです。これからすばらしい子どもたちの生活が展開されることでしょう。保護者のみなさまのご感想はいかがでしょうか?
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新園舎竣工にあたってのごあいさつ@
「21世紀にはなくなっている幼稚園? そら春日幼稚園やで。」
4年前、近所でそう噂されていたこのかすがようちえん。それが今日の日を迎えることができるとは夢のようでもあります。
「幼稚園の園舎を建てかえる。」平成4年(1992)11月12日の日付で私の目標設定マスターシートに記されています。来年度から園長に就任することが決まった数日後のことです。
そう目標設定してから次には、会う人会う人に「幼稚園を建てかえるんだ。」と話しをしました。
でも身近な人はだれも信じてくれません。実は私自身も「そんなこと、できるわけない。」と思っていました。というのも当時は園児が減少し、赤字が数年続く、そのほかにもいろんな悪条件がもれなくひっついてくる、そんな経営状態での園長就任だったからです。
でもおもしろいもので「建てかえるんだ。」そう言い続けているとだんだん回りの人が信じ始めます。そして不思議なことに、本当は一番信じていなかった自分が「できる」と信じ出す、目標設定にはそんな魔法の力があります。
「まずは教育内容の差別化と充実、それが実現したら着工する。見てくれだけではダメだ。」
私の強引な考えに職員は一所懸命こたえてくれました。
目標設定してから3年と10ケ月後の先日9月20日、新園舎が竣工いたしました。
半年間、仮設のプレハブでご迷惑をかけました。
ガマンしてくださった園児・保護者のみなさん、本当にありがとうございました。
お母さん、お父さんの魔法のことばCopyright(C)1999 by KASUGA KINDERGARTEN. All right reserved
「まかせるよ。思った通りやってごらん」
何をやらせても「どうやるの?」「やってやって」。「こうしてごらん」といっても「できなーい」。
「どうしてうちの子はこんなに自信がないんだろう。もっと自分で何でもできる子になってほしいな。」よくそんな声を耳にします。
「こうしなさい、ああしなさいといろいろと教えてあげているのに・・・」
実はこの「こうしなさい、ああしなさい」と指示ばかりしていることや、子どもがすることに注意ばかりしていること自体が、反対に子どもの自発性が育つのを阻害したり、また自信を失わせてしまっていることが多いのです。
自信をつける方法はまず「判断力をつけること」です。判断力をつけるためには「自分で判断する機会をたくさんつくること」が大切です。
そこでお母さん、お父さんの魔法のことばの登場です。
「まかせるよ。思った通りやってごらん」
このことばを子どもに何か手伝ってもらうときや何かに挑戦しようとしているとき、また「やって」「できない」と子どもがいってきたときに繰り返し使ってあげてください。ただし、結果については認め、ほめてあげることを決して忘れないでください。もし、結果が思わしくなくてもチャレンジしたことをまずほめ、それから注意する点をいってあげる。これを繰り返してください。
園でこのことばを使い始めたとき、そのすばらしい効果には驚かされました。
ご家庭でもこの「魔法のことば」を早速使ってあげてください。
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幼児期の脳の発達
人間の脳は3歳にしてすでに約60%が、6歳にして約90%ができあがってしまっています。
いかに幼児期の教育が大切かがわかります。
今回はその発達の特徴についてお話しします。
0歳〜3歳
《脳の働き》
右脳の天才的能力が最高に活躍する時期。瞬時に与えられた情報をそっくりそのままインプットすることができる。(プリント配線)
《発達の特徴》 模倣の時期
●善悪の区別がつかない。
●やさしい、難しいの区別がない
●インプットされたことが生涯にわたり、生き方の基本パターンになる。
3歳〜6歳
《脳の働き》
右脳の活躍に加えて、創造・個性・やる気に関わる前頭葉を鍛えなければならない時期。
《発達の特徴》 無負担・無努力の時期
●繰り返しが好き(覚えたくてしかたがない)
●丸暗記が得意(覚えずにはいられない)
(ルーティーンはこのような発達の特徴をふまえた活動です。)
積極的な期待をもって子どもを育てるBCopyright(C)1999 by KASUGA KINDERGARTEN. All right reserved
さて、「ご家庭でもピグマリオン効果を上手に使ってください。」といってもどうしたらうまく使えるのでしょうか?今回はその方法についてお話しします。
お子さんの名前をひろし君だとしますと、要するにまず「ひろしはできる。」「ひろしには素晴らしい能力がある。」と信じることが大切です。
よくお母さん方から「そうしようと思ってもできないんです。分かっていてもついガミガミ言ってしまいます。」という声を聞きます。分かっていてもつい言ってしまうのはなぜでしょうか?
それは私たちのくせ、つまり心構えがそうさせてしまうのです。ですからまず、この心構えをかえる必要があるのです。子供の心構えをかえる前に、私たち大人の心構えをかえなければなりません。
ではどうすればいいのでしょうか?いろんな方法がありますがその一つを紹介しましょう。
自分がしたいことを紙に書く、そしてそれを繰り返し声に出して読む。例えば「ひろしには素晴らしい能力がある。」「ひろしは○○ができる。」などと紙に書き、それを普段目につくところに貼っておく。そして見るたびに声に出して繰り返し読む。以前に園で配った「積極的な心構えを作ることば」の表も大変効果があります。
「そんなことでかわるの」と疑われる前にとにかくやってみましょう。繰り返されるそのことばがやがて潜在意識の中に入り込み、心構えをかえていき、子どもに対する積極的な期待が知らないうちに生まれてきます。そしてピグマリオン効果によって子どもの心構えにいい影響を与え、子どもの行動までかわってくるのです。
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積極的な期待をもって子供を育てるA
「答案をうちわであおいで向こうへ飛んだのをAグループ、残ったのをBグループというふうに分けただけなんです。」と彼らは答えました。要するに適当に二つのグループに分けただけだというわけです。
ところが「Aグループの方が学力が伸びますよ」といわれた先生側の生徒に対する態度、まなざしがそれ以後無意識の内に変わったのです。
例えばAグループのひろし君に「この問題分かる?」と尋ねて「分からない。」と答えると、先生は「ちょっと待てよ。」となるわけです。「ひろし君はたしかAグループだ。これはぼくの聞き方が悪かったのかもしれない。」ともう一度説明しなおしたりする。
ところがBグループのまさし君が「分からない。」というと「あ、そう。じゃ次。」となってしまう。こういうことが日常―先生の心の中で無意識に―たくさん起こってくる、その積み重ねの結果が学力の伸びの差になってきたのです。子どもの心の中にも「期待されているんだ、できるんだ。」という思いが育ってきてさらに勉強をするようになるのです。
この心理効果をピグマリオン効果とよびます。
園では子どもに対して「この子にはできない。」とか、「3歳児にはムリだ。」というマイナスの固定観念や先入観をもたないようにしています。
子どもが「できない、やってやって。」といったときには「できるよ、やってみよう。」という言葉がけを何度も何度も繰り返します。すると子どもたちはどんどん積極的になっていきます。
どうぞご家庭でもこのピグマリオン効果を上手に使い、積極的な期待をもってお子さんに接してあげてください。
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みなさんは『ピグマリオン効果』ということばを聞かれたことがあるでしょうか?これはギリシャ神話に由来して名付けられた心理効果のひとつです。
このピグマリオン効果についての代表的なローゼンタールたちの実験を紹介しましょう。
アメリカのある小学校で全員に簡単なテストをしました。そしてその採点結果と、さらに生徒全員をAとBの二つのグループに分けて学校に報告しました。
AグループはBグループより少数なのですが、「Aグループの生徒たちは、将来必ず学力がのびます。」と彼らはいうのです。しかしこのAグループには成績のいい子もいるのですが普通の子もいる、中には教師が見放すほど成績の悪い子も含まれていたのです。
8か月後、ローゼンタールたちはまた学校にやってきてテストをしました。その結果、たしかにAグループの生徒たちの成績の伸びはBグループを上回っていて、知能指数でいうと0.9か年、論理的判断力は1.0か年以上伸びていたのです。
小学校の先生たちはびっくりして尋ねました。
「簡単なテストだけでどうして学力が伸びるかどうかが分かったのですか?」
その種明かしは次号でお話しします。
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臨界期って、なに?
今回は<臨界期>という大切なポイントについてお話しします。
生まれたばかりのネコにすぐ目かくしをして育てます。さて、それから45日が過ぎ、その目かくしをはずします。このネコは物を見ることはできません。その後どんなにしても見えるようにはならないのです。
ところが成長したネコに同じようにしても目が見えないようにはならないのです。これはいったいどうしてでしょう?
実は、ネコの物を見る能力をつかさどる脳神経は、生まれてから45日間で配線を終えてしまうようにプログラムされています。ですから、この期間使われないと(なにも物を見ないと)配線しないようになっているのです。
生後45日しかチャンスはないというのは本当に厳しい自然の摂理だと思います。そしてネコの場合、この<45日間>を視覚の<臨界期>と呼んでいるのです。(人間の場合は2年半ぐらい)
物を見る能力だけでなく、ことばや聴く能力、運動能力などにもこの臨界期があります。
さらに、おもいやりの心とか優しさ、愛情、積極性、自主性などという人格(心・人柄・性格)にも臨界期があると私は考えています。だからこそ幼児期に心の豊かな環境で育つことが大切なのです。今、問題になっている「いじめ」の原因も幼児期の経験の中にあるのではないのでしょうか?
今まで、「物心ついてから」とか「小学校に入ってからでいい」とか「早すぎる」といわれてきたことを、臨界期という脳の発達の特徴から見直してみなければなりません。
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"ほめること"の意味A
先月号で、子どもが一番イヤなことは無視されることだとお話ししましたね。今月はそれはなぜかということについて考えてみたいと思います。
子どもは自分が家族にとって大切な存在でありたい、家族の一員として認められたいと心から願っています。ですからその反対の「認められない」つまり「無視される」ことが一番こわいのです。
無視されるとは「いてもいなくても、どっちでもいい」ということです。そんなふうに扱われたら大変です。ですからほめられる子どもは、またほめられることを繰り返すことによって自分の存在を認めてもらおうとします。
でも、ほめられない子どもは、叱られるようなことをわざとすることによって自分の存在をアピールする方法を選んでしまうのです。悪ふざけをしたり、わざと大きな音を立てたり、いうことを聞かなかったりして注意をひこうとするのです。そうしないと無視されてしまうかも知れないからです。
誤解のないように付け加えると、私は決して「子どもを叱らないでください」といっているのではありません。むしろ人をむやみに殴ったり、道路に飛び出しそうになったりといったような他人の迷惑になること、とても危険なことなどについてはその場で厳しく叱ることが必要だと考えています。でも、人というものは叱ることにばかりにどうしても気をとられ、ほめるべきところを見落としがちになってしまうので、あえて「ほめてあげてください」とお願いしているのです。
私たち大人でもほめられれば嬉しいし、頑張ろうという気になるものです。ぜひ家族全員で<ほめる心構え>を身につけていきましょう。
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"ほめること"の意味@
子どもはほめられ、認められることを一番望んでいます。ほめられることは子どもが1番好きなことです。
では、子どもが一番イヤなことはなんだと思われますか?
叱られること?いいえ違います。子どもが一番イヤなことは「無視されること」なのです。ほめられもしなければ叱られもしない、全く見向きもされない、そんなことは大人でもたえられない、最悪の状況ですよね。
かすがようちえんではいつも「お子さんをほめてあげてください。」とお願いしています。
そういうと、お母さんの中には「うちの子は叱られるようなことばっかりして、ほめるところなんて全然ないんですよ。」とおっしゃる方がおられます。
でも、そんなことはありません。子どもたちは大人の何十倍ものスピードで成長しています。現に1年前のお子さんとは比較にならないくらい成長しておられるでしょう。 (それにひきかえ今の私たちは、1年前の私たちと比べてどれくらい成長したでしょう?)
ですから、ほめることはいくらでもあるはずです。それが「ない」ということには次の2つの原因が考えられます。
@ほめるべきところを、親がみつけられない。
Aほめてもらえないので、無視されることより、叱られてでも気を引くことのほうがましだと考え、わざと叱られるようなことをする。
とにかく子どもの行動を観察し、ほめることはないかいつも気をつけていると子どものすばらしい一面が見えてきます。それは感動的な発見です。
そしてほめる、叱るをバランスよく繰り返すことで子どものすばらしい人格が育っていくのです。
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思いやりのある子に育てるには
日本人の母親が日本語で、アメリカ人の父親が英語ではなしかける、こういう家庭で育った子供は3歳ごろには日本語も英語も話せる子どもになります。その子は特別に英才教育を受けたわけではありませんし、押しつけられていやいや学習したわけでもないことは当然です。その子の育った<ことばの環境>が、日本語と英語の両方あるものだったというだけなのです。いいかえるとあたり前だったということなのです。
この<あたり前>が、子どもの教育では大切なキーワードだと私たちは考えています。子どもの脳は、6歳ごろまでは主に、見るもの・聞くもの・ふれるものをすべてそのまま写しとって成長する、プリント配線で進んで行きます。ですからこの幼児期はどんな環境で、つまり何をあたり前に育ったかが大切な成長の要因になります。
幼児期に思いやりの心があふれる環境(主に家庭、次に幼稚園)で育った子どもは思いやりの心のある子どもになります。殺伐とした、いさかいの絶えない環境で育った子どもは殺伐とした、陰険な子どもに育ちます。なぜなら、それが子どもの<あたり前>だからです。
始めにのべた、ことばの環境が、その子の話すことばを決めるように、身の回りの環境がその子の性格を決めてしまうのです。子どもにどんなあたり前を与えたいか、それをもう一度見直して見ましょう。
●例えば幼稚園では返事を、「ハーイ」ではなく、「ハイ」とはっきりすることをあたり前にしています。
記憶力を養成する<俳句>Copyright(C)1999 by KASUGA KINDERGARTEN. All right reserved
2学期に入ってから小林一茶の俳句を、ルーティーンの中に取り入れました。
この俳句は子どもたちの大好きなものの一つです。そして驚くほどのスピードで覚えていきます。とても大人がかなうものではありません。
大事なポイントは、俳句"を"覚えさせることではなく、俳句"で"大脳の発育-この場合は記憶力の発育-を助けることにあります。
生後新しい脳の配線ができ、ここにくりかえし電流が流れると、その配線がさらに強固なものになり、最後に反射的にできるようになります。つまり、楽しんで俳句をくりかえし暗誦しているうちに記憶力がどんどん養成されていくのです。
ところがここで注意していただきたい点があります。お子さんが俳句を暗誦しているのを見て、「さあ、いってごらん」などと強制したり、テストしたりすると、とたんにお子さんは俳句ぎらいになってしまいます。
漢字を教えているある幼稚園でのお話しです。
『・・・あるお母さんは、この子は天才ではないかと思い込んで、小学校の教科書をひっぱりだしてカードに書き、毎日帰ってくるのを待ちかまえて、これは何という字と、いわゆる古い頭の学校教育法を始めました。とたんに子供は漢字が嫌いになり、幼稚園でもそっぽを向くようになりました。すべてこうなのです。せっかく子供が漢字に興味をもち、好きになったのに、お母さんがその芽をつんでしまったのです。そればかりか、おやつでつったり、おどしたりしたので、逆に漢字恐怖症になって大変な後遺症を残してしまいました。』(幼児育て方ひとつ 田中茂樹氏著より)
ヴィジュアリゼーションの力Copyright(C)1999 by KASUGA KINDERGARTEN. All right reserved
人間が頭の中で想像したものはその通りに実現する、これをサイコ・サイバネティクスといいます。そんなバカなと思われるでしょう。では、実験をしてみましょう。
目を閉じてください。そして手の中にレモンを握っていると想像してみてください。レモンの感触を感じてください。さあ、ナイフを持ってレモンを半分に切ります。そしてレモンを絞り、その果汁を口に入れてみてください。口の中につばが出てきました。
いかがでしょう。これは想像しただけで体が反応する身近な例です。脳が想像上のレモンに対してつばを出す命令を出したのです。ある情報をインプットすると脳が以前の情報によってできあがっているプログラムを使ってそのプログラムの通り体が反応するしくみになっているのです。
こんなの当たり前と思われるでしょう。しかしこのことがとても大事なことなのです。
子供に積極的なことばがけをすることは子供の頭の中に積極的な自分のイメージを作ります。そしてさらに積極的な行動を繰り返していくことになります。
反対に叱ってばっかりいたりしてマイナスのことばがけをすると子供はマイナスの自分のイメージを作り上げてしまうのです。
最近、スポーツ選手がイメージトレーニングをしているということを耳にします。これもこのヴィジュアリゼーションの力を利用したものなのです。
園でもルーティーンの前に少しの時間、気持ちを落ち着かせて目を閉じ、頭の中で想像する練習をしています。子供のうちの自由な想像力をさらに自由に使えるように練習しているのです。
訓練されたノミと限界Copyright(C)1999 by KASUGA KINDERGARTEN. All right reserved
アメリカには『ノミのサーカス』というのがあるそうです。
ご存じのようにノミは2〜3メートルを軽々ととびます。でも、そのサーカスのノミはといえばテーブルの上を20センチの高さでぴょんぴょんとんでいるだけなのです。しかも何十匹も。聞いているだけでカユくなるような話しですね。
別にそんな種類のノミがいるとか、突然変異で生まれてくるのではなくて、実は生まれたばかりのノミにすぐにガラスの器をかぶせるのだそうです。最初のうち、はねては頭をぶつけ、はねてはぶつけしています。そして2週間ほどその中に入れておくと器をはずしてももう器の高さ以上には飛び上がろうとしなくなってしまうのだそうです。
まるで目に見えない器がかぶさっているように。
さて、実は子どもたちにも同じことが起こっているのです。"しつけ"もこの働きを利用して身につけさせます。でも、子どもの"能力"については一歩まちがえるとマイナスの結果をうむ原因になってしまいます。
私たち人間の場合、このガラスの器にあたるものにことばがあります。いつも「お前はバカだ、何にもできない。」といわれ続けた子どもは必ず『バカで何にもできない』子どもになります。
「こうしなさい、ああしなさい。」と命令ばかりされていると何でも「これでいい?」と聞く、自信のない子どもになります。その子が生まれつきそうなのではなく、ことばによって、あるはずのない限界をつくられてしまうのです。
自分は今、子どもにどんな器をかぶせているか、もう一度点検してみましょう。
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脳の働きに着目した教育法―ルーティーンA
機械的な印象を受けるルーティーンですが、子どもたちの興味をひきつけるためにはこのようなきびきびしたやり方が最も効果的な方法なのです。
なぜ1秒なのか?その理由は先月号でくわしく書かせていただきましたのでもう一度お読みいただけたらと思います。今回はアンケートの中でご質問のあった点について説明させていただきます。
子どもに国旗や音楽記号などを教える意味は?
ルーティーンは子どもに知識をつめこむためのものではありません。今、この幼児期はいろんなものに興味を持ち、何でも吸収する能力が際立った時期です。このすばらしい時期にいろんなものごとに出会う機会をできるだけ多くつくってあげたい。子どもにとっては看板に書かれた"SONY"の文字を読むのも、電車の種類を覚えるのも、国旗や音楽記号を覚えるのもみんな同じこと―あそび―なのです。
全部覚えていないようですが。
ルーティーンでは10のものを与えて10を完全に覚えることは求めていません。それよりも子どもの興味を呼び起こし、集中力をきたえ、話しを聞く能力を引き出すことを大切にしています。そして1000与えて100残ればいいのです。
覚えているかどうかのテストもしませんし確認もしません。無理やりこっちを向かせるようなこともしません。それをしてしまうと急激に子どもは興味を失い、ルーティーンと聞いただけでそっぽを向くようになります。楽しくなくなるのです。
子どものさまざまな能力の基礎(これを脳の神経組織の構造化といいます)ができるこの大切な時期に幅広い基盤を作るこれがルーティーンの第1の目的なのです。
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脳の働きに着目した教育法―ルーティーン@
かすがようちえんでは積極的な心構えをつくる教育と脳の働きと発達に目を向けた教育を2本の柱にしています。
ルーティーンとよんでいる日課活動は主に脳の働きに目を向けた教育法です。
ルーティーンは朝の体操に始まって、名前(漢字)・国旗・読み方・動植物・音楽記号などをフラッシュカードで見せて進めていきます。さらにリズム・発声をくわえて毎日2回、15分間、反復して行います。大人が見ると「エッ」と戸惑うような活動です。というのも大人でも知らないようなものごとを、しかも1枚1秒という驚くようなスピードで進めていくからです。
実は、このスピードとリズムと間を置いた反復そしてほめることにこの教育法の特徴があるのです。
今までの常識では、子どもは大人より劣ったものだと考えられていたために、ゆっくりしかも簡単なことを教えようとしてきました。ところが脳の発達のしくみがあきらかになるにつれ、実は子どものうちは(6歳頃までは)ものごとを一瞬で記憶して行く特殊な時期だということがわかってきました。特に右脳の、イメージによる記憶の力を引き出し、強めていくためにはルーティーンのようなスピードとリズムと間を置いた反復がなければ効果は上がりません。ゆっくり見せることは理解を深めるのではなく、かえって子どもの興味を失わせ、飽きさせてしまうことになるのです。子どもには1秒で十分だからです。
そのスピードとリズムによる緊張感が教諭と子どもたちの間に信頼感を生み、子どもたちの集中力を育て、興味を持続させていくもとになるのです。
<あそび>について
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のびのびとあそばせてやりたい。ほとんどのお母さんがこうおっしゃいます。かすがようちえんもそう考えています。
さて、<あそび>というとどんなイメージを持たれるでしょうか?屋外でかけ回っている姿でしょうか、それとも砂場で砂遊び、滑り台、ぶらんこ。ままごとあそび、ファミコン。いろいろありますね。
かすがようちえんでは、あそびとは、『子どもが興味を持って取り組むことすべて』だと考えています。
あそびを狭い意味で考えず、このように広い意味で考え、英語でも音楽でも砂場やぶらんこと同じように楽しんで取り組めるように準備すればそれは子どもにとっては十分あそびになります。文字・数でももっと幅広い知識についても同じです。
もちろん、園では外遊びも十分にしています。
(すぐに泥だらけになって服を汚してしまいますが、砂や水には可塑性があり、子どもの精神を安定させるためには心理学的に最も効果のある、大切な教材なのです。汚さないようにしなさいとは決しておっしゃらないでください。)
ですから、英語だからあそびじゃない、数字が出てきたらもう遊びじゃなくなる、すぐにそう決めつけてしまうのは正しくありません。
かすがようちえんは今後も、幅広いものごとに興味を持って取り組み、おもしろいと思って知能を高めて行けるような独自のカリキュラムを開発していきます。
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心構え=考え方の習慣(くせ)
私たちには習慣(くせ)があります。生活の中でとる行動の90%が習慣になっています。この習慣のおかげで実はあまり疲れることなく日常生活が送れるのです。
毎日いつでも意識して、考え、決断して行動することの連続だったら私たちはどうなるでしょう?きっと疲れ果ててしまうに違いありません。無意識に、決断する必要なく行動する、習慣とはこんなに便利なものなのです。
私たちが"心構え"とよんでいる、考え方の習慣ももちろんこの習慣(くせ)なのです。なんにでも前向きに、積極的に取り組む心構えの子どもに育つ、かすがようちえんの目標のひとつです。
消極的な逃げ腰の、また依存心の強い、何でもできない、やってやってという子どもは、成長してもこの心構えが変わることなくしみついてしまっているのです。残念なことに心構えの基礎のほとんどが6才までにできあがります。
積極的な心構えを作る要因は"ことば"
園では先生のつかうことばに基準を設けています。とにかく積極的なことばを使うこと、プラスイメージのことばがけをすることなどです。
まわりの人のつかうことば、自分のつかうことばが心構えをつくる要因になります。私たちが積極的なことばを使うだけで子どもはあっというまに積極的に変わっていきます。その変わりようは驚くばかりです。まずみなさんが積極的になること、そして積極的なことばを使うこと。意識して使っていればしばらくのうちにそれが習慣になります。そのときにはみなさん自身の心構えが変わっていることでしょう。
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