サバトとは……
What is Sabbaths?
サバトと言うと、キリスト教徒に言わせると、悪魔を呼び出すいかがわしい宴ということになりますが、魔女の側から言えば、季節の祝祭のことなのです。
一年周期の魔女の祝祭は、全部で八つあり、そのうちのいくつかは、キリスト教のお祭りともだぶっています。ただ、キリスト教によって形骸化された祭りではなく、あくまで古代からの、自然とともに生活した人々の中から生まれた「伝統」を再現するための祭りであることにこだわるのです。
したがって、瑞穂の国たる日本では、昔からの風習を大事にする人なら、だれでも知っているような行事が並んでいきます。
なお、サバトという言葉は、ユダヤ教では安息日のことであり、イタリア語では、土曜日のことです。イタリアはカトリックの国です。キリス� ��教で言う安息日(日曜日)の前日にあたる日が、魔女の祝祭日というわけです。
もちろん、すべての日に、季節の植物を飾り、酒を飲み、おいしい食べ物でお祝いします。宴の始まりと終わりには、四方の守り手たる神々に、祈りと礼を忘れずに。
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なお、カタカナ表記は原則として現代の(国際発音表式による)英語発音に準じております。
どのような国ではクリスマスのライトを使用
ソーウェン
Samhain
十月三十一日。
キリスト教の行事では、ハロウィン(ハロウマス・イブ)と呼びます。日本でも、カボチャを飾って馬鹿騒ぎをする日だと、よく知られるようになりました。
日本の行事となんの関係があるか、と言うと──
厳密には若干日にちがずれています。
しかし、どう考えても、これしかありません。
その年の収穫の稲穂を天皇が最初に神に奉納する日──新嘗祭です。
ただし、ソーウェンは、宮中の行事ではありません。キリスト教に迫害され、魔女と誹ソシりを受けたヨーロッパの貧しい女たちと心をともにする現代の魔女がやるなら、それにふさわしい祭りでなくてはなりません。
なぜこの日が最初にきたのか……それは、この日が(キリスト教徒によって迫害を受けたと言われる� �古代ヨーロッパの盟主)ケルト民族の大晦日、サヴェンが訛ったものだからです。
大晦日というからには、翌日が元旦にあたります。一年の終わりと初めの境の日。この日、魔女たちは、死者の霊を呼び覚まし、その年の収穫を感謝し、翌年の豊作を祈願するわけです。死者の霊を呼び覚ますために登場する道具は、大釜です。
そして、最も重要なことは、この日が太陽の死と再生への準備に入る日だということでしょう。この日から冬至ユールの間、弱った太陽は、いったん休息します。動物たちが冬ごもりに入るように、植物たちが葉を枯らして、新芽を萌えさせるための準備に入るのと同じように、太陽もまた、光を弱め、新しい光を放つための休息を取るのです。
冬至(ユール)
Yule (Winter Solstice)
十二月二十二日前後。
一年のうちで、もっとも日照時間の短い日であり、もっとも夜の長い日です。日本では、身体を冷やさないように、柚湯(これは、和風ハーブ・バスとでも言いましょうか)に入ります。
冬至のすぐあとがクリスマスです。本来、クリスマスというのは、冬至の祝いが変化したものなのです。
この日は、農耕民族にとっては、太陽が死に絶えた後、新しく生まれ変わる、という非常に重要な日にあたります。だから、太陽王としてのキリストの生誕日は(実際に生まれた日がいつであろうとも)冬至のすぐあとなのでした。
イムボーク
Imbolg
二月二日。
キリスト教では、キャンドルマスという安産祈願の日です。
聖ブリジット祭とも言われますが、キリスト教の聖女ブリジット伝説が、ケルトのブリギットという乙女神と同一視されたことが、そもそもの起源と言われています。
どうやら、日本で言う節分/立春ではないか、とわたしはにらんでいます。
わたしは、節分の鬼祓いをやった後、こっそりと生まれ変わった太陽のために乾杯し、かつ家族の健康を祈っております。
春分の日(エオスターラ)
Spring Equinox(Eostara)
夜の長さと昼の長さが同じになる日。お彼岸の中日であり、国民の祝日でもあります。
この日については、他に何も付け加えることはありません。古来からの風習どおり、お墓参りをし、おはぎと精進料理を食べ、そしてますます長くなる日照時間に、若き太陽の逞しさを思い、そして動植物の成長を願いましょう。
名前tayoは何を意味する
ベルテイン──メイ・イブ
Bealtaine (May Eve)
四月三十日。
日本では昭和天皇の誕生日から現在の「みどりの日」まで、前日の二十九日がずっと祝日でした。それに、ゴールデン・ウィークの最中でもあります。翌五月一日のメイ・デイは、第二次大戦後、社会主義国に倣って全国的に労働組合がデモをする日になったため、むしろそちらのほうが有名になってしまった感がありますが、ほんとうは、ヨーロッパの農民たちのお祭りです。ベルテインは、その前夜祭にあたり、ケルト民族の火の神ベルにちなんで、火を祭る集いが催されたそうです。
日本でも、この頃に祝日が重なっているのは、けっして偶然ではありません。八十八夜、端午の節句等、どれもこれも、もともとは、田植え前に豊作を祈願する農耕行事だったものです。ですから、三社祭などの各地の寺社 のお祭りも同じ頃に行われるのです。
わたしは、八十八夜と憲法記念日と端午の節句と菖蒲湯を、全部ベルテインの祝いと一緒に考えています。わが家の近所でも、五月の初旬には、神社の催しがありますので、そこにも出かけて行きます。
アイルランドにおける現代と古代の知恵との再会新しいミレニアムのために創造の力を Fire Eye Projectについての デイブ ホーガン(Dave Hogan)からのレポート 古代のアイルランドでは、大地は女神エリウ(Eriu)の化身であり、呼吸し、生きているものと考えられていました。岩は彼女の骨であり、地面は彼女の肉であり、川は彼女の静脈でした。 1年に1度のBealtaine(または5月祭前夜)において、彼女を祀る素晴らしい集いが、nowCounty WestmeathのAthloneとMullingarの間にあるHill of Uisneachの上で開かれました。伝承によれば、その晩、国中の炉辺の火がすべて消され、エリウの上に生きるあらゆるものを取り巻くこの地平線を見渡せる神聖なる丘のいただきに、二つの大きいかがり火が彼女の目のシンボルとして灯されたということです。この二つの火は、夏の再来と豊穣と土地と人々の調和を保証する聖なる力の中心的な存在と見なされたのです。この中心的なかがり火は、島の陸エリアの4分の1をカバーしているUisnechの眺望から目に見える範囲の周囲の山頂に灯された火によって応じられました。これらの火は、順繰りに、きらきら輝く火のネットでアイルランドのすべての島を覆いつくすと、さらに火の外の輪へと呼びかけたのです。 これらの火は、BEALTAINE2001にも再度照らされて、再び燃え上がること� �しょう。アイルランドのすべての人々が真に再会する祝典のために。 1920年代の有名な女性は誰です なにより重要なのは、南北すべてのアイルランドの住民──それは生まれつきにしろ、そうでないにしろ──が、共有の神話と精神的遺産の継承を通じて、この日再会しようとすることなのです。周囲の神聖な灯火に対応する中央の聖なるかがり火は、そうした再会の象徴であり、古代においてそうであったのと同じくらいに深遠な意味を持つのです。 一個人というレベルにおいても、地域社会という小宇宙のレベルにおいても、全世界または全宇宙的なレベルにおいても、これは真実なのです。彼、あるいは彼女が自身のうちに、聖なる中央とその他の火を見出すことは、あきらかに神の願望であり、彼らと手を結び合える人は誰であれ、聖なる火に応えることができる人であると認められるのです。人間の心と、国土のあるいは神あるいは女神の心、あるいは宇宙の心の間には何の隔たりもありません。 Uisneachはまさしく、そう、神話的にも、また地理的にも(じゅうぶんなほどに近くです)精神的にもアイルランドの心臓なのです。それはアイルランドの女神、エリウの玉座なのです。神話には、アイルランドの王が上王となるために、エリウと結婚するという物語が繰り返し� �場します。彼らは彼らの富を持続し、彼らの国の平和と調和を守るために彼女との関係を厳しく条例で定めていたのです。 我々は信じています。今この時点において、我々はすべて「結婚」し、エリウという国土の霊性を誇らなければなりません。あるいは、彼女をないがしろにし、乱用してきた結果を思い起こすべきです。彼女はおそろしく虐待され、我々はそれによってもたらされたもの──環境の退廃、心の安らがない社会、孤立、病気等々──を感じています。 我々は信じています。� �イルランド人が愛する音楽と演劇と精神的遺産、そしてそれらに備わっている霊性は、我々の理想を表現するために必要不可欠な強い表現手段であることを。 村や町に生きている信じがたいほどの強い共同体意識は島を広げていくのにも役立つと。 Fire Eyeで試みた我々の挑戦は、巻き込まれた誰もが、自分で自分自身の命を獲得するための可能性に気づくように仕向けた魔法と力を得るプロジェクトを、まるごと浸透させようとするものなのです。 このプロジェクトの成功に非常に重要なことは、目に見えない世界──精力的で精神的な──を理解した巻き込まれた人々がいることなのです。我々はそれゆえに、政府の援助金は求めていません。我々が求めるのは、イベントの動機に興味を持つ個人と組織からの応援です。我々はこのイベントが世界規模で意味を持つことができると信じています。 これはeGroup[RIDL]にMachaを通じて投稿されたMachaの友人パトリシア Patricia Monaghan からのメッセージの翻訳です。両者の許可を得て、ここに紹介します。 |
夏至(リーザ)
Midsummer (Summer Solstice)
Litha
六月二十二日前後。
冬至の反対で、昼がもっとも長くなる日──太陽の力がもっとも強くなる日です。
でも、欧米の夏至とアジア・モンスーン気候の日本の夏至ではやや意味合いが違う気がします。欧米の夏至と同じ気候は、日本では北海道でしか味わえません。暗かった森の中に、太陽の光が射し込め、いっせいに夏の花が咲き誇る、一番美しい季節なのだそうです。
シェイクスピアの『夏の夜の夢』という戯曲は、この日の一夜に繰り広げられる、妖精たちと人間のクロスオーバー恋愛劇です。中世イギリスの、夏至の夜には、森の中で妖精たちがダンスをする、という伝説に由来したユーモア溢れる物語です。
日本では、梅雨どきの虫干し、というイメージが一番ぴったりくるのではないでしょうか。そうい� �ば、宮中では大祓えの儀が行われる頃です。カビが生えやすい季節ですから、家の中を明るくしたり、風を通したりして、日光消毒を行う必要が、そういう儀式となって残っているのでしょう。
この日を境に、日照時間は次第に短くなります。太陽も、熟年になっていく、というところでしょうか。でも、太陽の熱が大気から大地に伝わって、本格的に暑くなるのは、これからです。
なお、リーザというのは、ブダベストのワークショップで使用された言葉らしいが、スターホークの著書によって広められた一種の隠語。語源はケルトの伝承らしい。
ルーナサ
Lughnasadh (Lammas)
八月一日。
古いヨーロッパの伝統行事としては、ケルト神話に登場する「長腕のルー」にちなんだ祝祭日です。小麦の収穫ののち、パンを焼くのを祝福することから、一切れのパンの祝日(ローフ・マス)が訛って、キリスト教ではラマスと呼んでいます。
同様の行事が、「八朔」という名で昔の日本にもありました。現代残っている行事では、土用の丑の日や旧暦の七夕が前後に控えています。また、旧暦のお盆も間近で、稲穂はちょうど花が咲く季節です。夏真っ盛りで、夏休みを取っている人も多いでしょう。梅雨が開けて、天気も快晴の日が続く頃です。海辺や山でのキャンプファイヤーのときには、燃え盛る炎に思いっきり太陽を重ね合わせて、その恵みに感謝し、また星や月の神秘な光に瞑想しましょう。
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秋分の日(マーボン)
Autumn Equinox(Mabon)
地球の位置が春分と反対側に来る日です。この日を境に、太陽は年をとり、次第に弱っていきます。
欧米(小麦=パンを主食とする国々)では、この日が税金申告の〆日です。そのため、十月が年度始まりになるのです。日本が四月を年度始めとしているのは、もちろん、春分頃に税金の〆があるからです。米の収穫に合わせた制度ということですね。
春分同様お彼岸の中日ですから、やはりお墓参りをしたり、精進料理やおはぎを食べたりして過ごしましょう。
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